アメリカ音楽留学とその後の方向性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 09:58 UTC 版)
「原田真二」の記事における「アメリカ音楽留学とその後の方向性」の解説
1981年12月25日、中野サンプラザでのクリスマスコンサートのステージ上から、米国への音楽留学による充電(約1年に及ぶ)を発表。英語圏での活動を夢とした原田は、向こうのマーケットの視察、自分のオリジナルなスタイルの確立、曲を書き貯める、歌詞の勉強、をその理由に挙げた。アメリカでは、本場のショーアップされたエンターテイメントとしての音楽を再確認するとともに「逆に日本にいて見えなかった日本のよさ」を強く感じ、日本人としての個性を取り入れたオリジナルなスタイルを確立すべく、洋楽的発想に和を融合させた音楽を模索。帰国後は日本の伝統楽器等を取り入れたジャパネスクな新境地の音楽スタイルも見せ、またダンサブルな方向、ショーアップされたステージへと移行していった(他、多所で発言)。
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