アムル系王朝の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 03:49 UTC 版)
ウル第3王朝滅亡後にメソポタミア各地に成立したイシン、ラルサ、バビロン、マリ等の諸王朝はいずれもアムル系の人々によって成立した。ただし、アムル人が統一した政治集団として活動を起こしたわけではない。彼らは互いに覇権を争う競合関係にあった。 アムル人が具体的にどのような経過を辿って権力を握ったのかについて正確にわかる事は少ない。確実にいえる事は、ウル第3王朝の滅亡以後、メソポタミアで権力を握ったほとんど全ての王達がアムル系であった事である。アムル人の中でも有名な人物にはアッシリアのシャムシ・アダド1世やバビロンのハンムラビがおり、ハンムラビは自らを「アムルの王」と称した。ハンムラビ法典で知られる「目には目を、歯には歯を」の同害復讐原理はアムル人の習俗から導入されたという説が有力である。 これらの王がアムル人より輩出されて以降もアムル人のメソポタミアへの流入は続きメソポタミアにおけるアムル人の割合は増加した。しかしながら、総じてアムル人の浸透はシュメール・アッカド以来の王権、宗教観に決定的な影響は与えず、むしろアムル人達はシュメール・アッカドの文明を受け入れ同化していく事になる。バビロニアやアッシリアに移住したグループは紀元前17世紀頃までに現地人と同化してアムル系である事は意味を持たなくなった。しかし、シリア地方に残ったグループは紀元前12世紀頃まで記録に残っている。
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