アストンマーチンDP212/DP214/DP215とは? わかりやすく解説

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アストンマーチン・DP212/DP214/DP215

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/07/05 10:54 UTC 版)

アストンマーチンDP212/DP214/DP215は、アストンマーチン・ラゴンダが1962年および1963年に製造したレース用ワークスカーであり、DP212/DP214/DP215は、プロジェクト・ナンバーでもある。

ベースはDB4GTDB4GTザガートであるが、シャーシ・ボディともにほとんど別物に進化している。DP212は1962年のル・マン24時間レースに、DP214およびDP215は1963年のル・マン24時間レースにそれぞれ出場したが、すべてリタイアを喫した。後に、DP215はアストンマーチン・V8用のエンジンを開発するにあたり、テストベッドとして使用された。

目次

機構・スタイル

‘DP212/214/215’の‘DP’は、‘ディヴェロプメント・プロジェクト’の略字であり、当時のアストンマーチンのオーナーであるデビット・ブラウンの頭文字から取られた‘DB’の名称とは関係がない。ボディ・デザインはDBR1と同じくテッド・カッティングによるものである。

DP212

DP212は、アストンマーチンの1962年のル・マン24時間レースに出場した車両である。DB4GTの6気筒3749ccエンジンを96mmにボア・アップして3996ccとし、9.5:1の圧縮比から345hpを出力したエンジンを搭載した。5段ギアボックスとド・ディオン式のリアサスペンションを備え、DB4GTザガートを空力的に洗練したボディを架装していた。1962年のル・マンではDP212は好成績を期待されていた。ドライバーにグラハム・ヒルリッチー・ギンザーを起用し6時間経過時にはフェラーリに次ぐ2位を走っていた等速かったが、7時間後にエンジン・トラブルによりリタイアした。車体が重いことに加えテールのリフトが酷い等、エアロダイナミクスにも問題があったとのことである。

DP214

DP214 (レプリカモデル)

1962年の反省をもとに、翌1963年には全く新しい3台のマシンが準備された。DP212の空力リフトの悪癖を抑えるため、空力的に見直したカム・テールとスポイラーを備え、全体的に長く低くなり、フレームも軽量化された。エンジンはDB4GT用のボアを1mm拡大し93mmとした3749ccで314hp。エンジンを通常より25cm後方に搭載し、リアサスペンションも‘半’独立懸架のド・ディオン・アクスルから、ウィシュボーン+コイルの独立懸架に進化した。

1963年のル・マン24時間レースには2台のDP214がGTカテゴリーから出場した。しかし6時間経過後にブルース・マクラーレンのDP214は炎上してリタイアを喫した。残る1台のウィリアム・キンバリー(William Kimberley )とジョー・シュレッサー組のDP214は10時間目までは総合3位を走行していたが、11時間経過後にエンジントラブルでリタイアとなった。

DP215

DP215 事故後レストアされたもの。
DP215のテールデザイン

DP215は、DP212と同様の3996ccのドライサンプ345hpエンジンを搭載し、5段ギアボックスをファイナル・ドライブと一体化したトランスアクスルを採用した。サスペンションはDP214と同様に前後ともダブルウィッシュボーン+コイルの独立懸架である。外装もDP214と同様であった。1963年のル・マン24時間レースフィル・ヒルのドライブで出場し、期待通りに速い車でユーノディエールのストレートで記録した198.6mph(319.6km/h)の最高速度は、ル・マン史上初めて300km/hの壁を破り、かつ現在に至るまでフロントエンジンカーとしてはル・マンにおける最高速度記録である。しかし4時間経過後にトランスミッショントラブルでリタイアとなった。わずか1台だけしか作られず、アストンのワークス活動中止により後継車も生まれなかったDP215は、ル・マン以外に一戦のみ出場したレイムスでのレースでもル・マン同様にトランスミッションのトラブルによりリタイアで終わっている。 レースキャリアを終えた後のDP215は、アストンマーチンの新規開発V8エンジンのテストベッドとして活用される予定だったが高速での事故により廃車となった。その後レストアされ現在に至るが、エンジンは当時のオリジナルエンジンではなく、同じ1963年のインディ500用に作られたドライサンプ4.2Lエンジンを搭載しているとのことである。オリジナルのDP215エンジンは、唯一現存しているDP214に搭載されている。


アストンマーチン・ラゴンダ ロードカータイムライン 1948-<- 戦前モデル  
タイプ '40 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代
8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3
GT DB1 DB2 DB2/4 DB MkIII DBS
/ヴァンテージ
DB7 i6 DB7
ヴァンテージ
V8ヴァンテージ
DB4
/DB4GT
DB5 DB6 V8 ヴィラージュ/V8 DB9
ヴィラージュ
V8ヴァンテージ V8ヴァンテージ V12ヴァンキッシュ DBS V12 ヴァンキッシュ
スーパーカー DB4GT
ザガート
V8
ザガート
DB7
ザガート
AR1 One-77
4ドア 2.6-Litre 3-Litre ラパイド ラゴンダ ラピード
小型 シグネット
オーナー David Brown Limited William Willson| Sprague & Minden Pace Petro
-leum & Gaunt
-lett
Gauntlett & Livanos Gauntlett, Livanos & Ford フォード Richards, Sinders, Dar, Adeem
レーシングカー: DP212DP214DP215・B08-60
コンセプトカー: AMV8
人物: ライオネル・マーチン, ロバート・バンフォード(創業者)・デイビッド・ブラウン
公式WEBサイト: Aston Martin

アストンマーティン・DP212/DP214/DP215

(アストンマーチンDP212/DP214/DP215 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/09 16:41 UTC 版)

アストンマーティンDP212/DP214/DP215は、アストンマーティン・ラゴンダが1962年および1963年に製造したレース用ワークスカーであり、DP212/DP214/DP215は、プロジェクト・ナンバーでもある。

ベースはDB4GTDB4GTザガートであるが、シャシ・ボディともにほとんど別物に進化している。DP212は1962年のル・マン24時間レース[1]に、DP214およびDP215は1963年のル・マン24時間レース[2]それぞれ出場したが、すべてリタイアを喫した。後に、DP215はアストンマーティン・V8用のエンジンを開発するにあたり、テストベッドとして使用された。

機構・スタイル

‘DP212/214/215’の‘DP’は、‘ディヴェロプメント・プロジェクト’の略字であり、当時のアストンマーティンのオーナーであるデビット・ブラウンの頭文字から取られた‘DB’の名称とは関係がない。ボディ・デザインはアストンマーティン・DBR1と同じくテッド・カッティングによるものである。

DP212

2011年シルバーストーンクラシックでのDP212

DP212は1962年のル・マン24時間レースに11号車[1]として出場したアストンマーティンの車両である。アストンマーティン・DB4GTの直列6気筒[3]3,749ccエンジンのシリンダー内径をφ96mmに拡大して3,996cc[3]とし、9.5:1の圧縮比から345hpを出力したエンジンを搭載した。5速トランスミッションとド・ディオン式のリアサスペンションを備え、DB4GTザガートのボディを空力的に洗練して架装し、車重は1,050kg[3]であった。シャシ番号はDB212/1[1]。好成績を期待され、ドライバーにグラハム・ヒル[1]リッチー・ギンサー[1]を起用し、レース開始直後は多くのプロトタイプフェラーリを従えて当分の間総合1位を保ち[1]、ジェネレーター修理[1]で5位まで後退[1]し、それを取り戻そうとグラハム・ヒルが飛ばして3位まで順位を上げた[1]がこの無理がたたってエンジンバルブを損傷[1]し7時間後[1]にリタイアした。車体が重いことに加えテールのリフトが酷い等、エアロダイナミクスにも問題があったとのことである。

DP214

DP214 (レプリカモデル)

前年の反省をもとに、1963年のル・マン24時間レースには全く新しい3台のマシンが準備された。DP212の空力リフトの悪癖を抑えるため、空力的に見直したカムテールスポイラーを備え、全体的に長く低くなり、フレームも軽量化された。エンジンはDB4GT用エンジン内径を1mm拡大しφ93mmとした3,749cc[3]で314hp。エンジンを通常より25cm後方に搭載し、リアサスペンションも半独立懸架のド・ディオン・アクスルから、ウィシュボーン+コイルの独立懸架に進化した。車重は7号車が1,104kg[3]、8号車が1,000kg[3]。シャシ番号は7号車が0194、8号車が0195[2]。ドライバーは7号車がブルース・マクラーレン[2]/イネス・アイルランド(Innes Ireland[2]組、8号車がウィリアム・キンバリー(William Kimberley )/ジョー・シュレッサー[2]組。[注釈 1]

1963年のル・マン24時間レースにGTカテゴリー[2]から2台が出場した。しかし6時間[2]経過後にの7号車のエンジンがユノディエールの出口付近で文字通り爆発[2]、炎上してリタイアを喫し、この事故はジャガーに乗るロイ・サルヴァドーリやオトモビル・ルネ・ボネに乗るジャン=ピエール・マンゾンの事故の原因[2]となり、さらにはルノー・アルピーヌに乗るクリスチアン・ハインス(Christian Heins )の死亡事故の[2]原因となった。8号車は11時間経過後[2]に総合3位[2]を走行中エンジントラブル[2]でリタイアとなった。

DP215

DP215 事故後レストアされたもの。
DP215のテールデザイン

DP215は、DP212と同様の3,995cc[3]ドライサンプ345hpエンジンを搭載し、5速トランスミッションをファイナル・ドライブと一体化したトランスアクスルを採用した。サスペンションはDP214と同様に前後ともダブルウィッシュボーン+コイルの独立懸架である。外装もDP214と同様であった。シャシ番号はDP215[2]、車両重量は1,125kg[3]1963年のル・マン24時間レースに18号車[2]としてフィル・ヒル[2]/ルシアン・ビアンキ[2]のドライブで出場し、期待通りに速い車でユーノディエールのストレートで記録した198.6mph(319.6km/h)の最高速度は、ル・マン24時間レース史上初めて300km/hの壁を破り、かつ現在に至るまでフロントエンジンカーとしてはル・マン24時間レースにおける最高速度記録である。しかし4時間経過後[2]37位で走行中[2]にトランスミッショントラブルでリタイアとなった[注釈 2]。わずか1台だけしか作られず、アストンマーティンのワークス活動中止により後継車も生まれなかったDP215は、ル・マン24時間レース以外に一戦のみ出場したレイムスでのレースでもル・マン24時間レース同様にトランスミッショントラブルによりリタイアで終わっている。

レースキャリアを終えた後のDP215は、アストンマーティンの新規開発V型8気筒エンジンのテストベッドとして活用される予定だったが、高速での事故により廃車となった。その後レストアされ現在に至るが、エンジンは当時のオリジナルエンジンではなく、同じ1963年のインディ500用に作られたドライサンプ4.2リットルエンジンを搭載しているとのことである。オリジナルのDP215エンジンは、唯一現存しているDP214に搭載されている。

注釈

  1. ^ 7号車8号車について、『ル・マンの英国車』p.115にはDB4GTで出場クラスGTになっているが、en:1963 24 Hours of Le MansではDP214、出場クラスP+3.0になっているので、7号車8号車の記述をDP214の記述として扱う。『ル・マンの英国車』p.144には車種に関する記述がない。
  2. ^ 『ル・マンの英国車』p.116は「リア・アクスル不調」とするがトランスアクスルとすればアクスルとトランスミッションは一体であり、食い違いとは言えない。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『ル・マンの英国車』pp.94-114「1962」。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『ル・マンの英国車』pp.115-119「1963」。
  3. ^ a b c d e f g h 『ル・マンの英国車』pp.143-144。

参考文献




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