アクラガス包囲戦への序章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:13 UTC 版)
「アクラガス包囲戦」の記事における「アクラガス包囲戦への序章」の解説
シュラクサイとアクラガスの政府は、カルタゴに対して予防的な策を講じただけであった。しかし、シュラクサイを追放されていたヘルモクラテスは、より攻撃的な策を求め、それによって追放が解かれシュラクサイで政治的な地位を得ることを期待した。ヘルモクラテスは2,000名(内1,000名は元ヒメラ市民)の兵士と5隻の軍船を雇用し、セリヌスの廃墟に自身の基地を設営し、アクロポリス周囲の城壁を修復して安全を確保した。彼の軍は6,000名にまで拡張し(セリヌスの元市民も多数が加わった)、ヘルモクラテスはカルタゴ領への襲撃を開始した。最初はモティア兵に勝利して、その土地で略奪を行った。続いてパノルムス周辺の「金の貝殻」と呼ばれる土地を目標とした。紀元前407年、ヘルモクラテスはパノルムス軍を打ち破り、500名を殺害し戦利品とともにセリヌスに戻った。これによりヘモクラテスはシケリアのギリシア人の中で有名になりまた共感も得たが、シュラクサイへ呼び戻されることはなかった。 ヘルモクラテスはヒメラで野ざらしになっていたギリシア人の骨を集め、埋葬のためにシュラクサイに送った。これによりさらに彼の評判は上がったが(他方、シュラクサイの指導者であるディオクレスは、ヒメラでの敗北後に遺体の回収を実施しなかったことで評判を下げた)、それでも追放が解かれることはなかった。ヘルモクラテスは最後はクーデターを試みたが、シュラクサイの市街戦で戦死した。ヘルモクラテスが活動している間、シュラクサイとアクラガスは防御をおろそかにはしなかった。アクラガスはカルタゴの最初の標的となることが予想されたため陸軍を増強し、またシュラクサイも艦隊を増強した。両都市ともに、城壁を強固に修復した。
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