ながめ遊園地
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ながめ遊園地(ながめゆうえんち)は、かつて群馬県山田郡大間々町大間々1635(現・みどり市大間々町大間々)にあった行楽施設。跡地は現在ながめ公園となっており、毎年秋に開催される関東菊花大会の会場となっている[1]。「ながめ」の呼称は渡良瀬川の高津戸峡西崖上に位置し景観にすぐれることに由来する[1]。劇場のながめ余興場などがあった。
歴史
開業

1925年(大正14年)5月17日、高津戸峡畔に笠懸町の籾山邦雄が「ながめ」という名前の料亭を開業したのが「ながめ」の始まりである[2][3]。その後、大間々町で割烹旅館の三好屋を経営していた持箸米造(1880-1944[4])が経営を引き継いで発展させていき、1926年(大正15年)には菊花壇を設けて宣伝に利用していた[3]。持箸米造は大間々町芸妓組合長でもある[5]。三好屋旅館別館の名物は庭に咲く春の牡丹、秋の菊であり、余興なども催していた[5]。
大間々町高津戸橋畔ながめにては、例年の通り菊花壇を設け人形を飾り、十月一日より開園する筈だが早咲き物は既に笑み始め菊人形も本年は前年より多く大楠公・鏡山・曽我夜討ち・伽羅先代萩・新派女天下の五場にして、非常の出来栄にて花壇も又多く、下旬から十一月に掛けては高津戸の紅葉と共に、観覧者多かるべく予想さる — 『上毛新聞』1929年10月10日[5]
発展

昭和初期には菊人形で有名になっており、梅、桜、牡丹、菊、紅葉といった季節ごとの景趣で賑わいを見せた[3]。1934年(昭和9年)には高津戸橋が鉄筋コンクリート造で架け替えられた[6]。1929年(昭和4年)には余興の掛小屋も建てられ、1937年(昭和12年)に常設の劇場としてながめ余興場が建設された[3]。遊園地や劇場のほか、飲食施設・宿泊施設が建ち並ぶことで一大娯楽空間を形成していた[7]。1940年(昭和15年)には大間々農検出張所長技手の牛島庄作の作詞作曲によってながめ音頭が発表された[5]。
菊人形は1955年(昭和30年)頃に最盛期を迎え、菊人形展の時期には30万人もの客で賑わった。「劇場の2階から、階段を踏まずに人が降りてきた。」といった伝説も生まれた。周辺地域においては、大間々町といえば「ながめ=菊=高津戸峡=渡良瀬川」を連想するといわれた[8]。
閉園
その後、娯楽の多様化などで集客数が落ち、ながめ遊園地は1987年(昭和62年)に閉園した[9]。
1990年(平成2年)、大間々町がながめ余興場などの施設の譲渡を受けた[7]。跡地のながめ公園は毎年秋に関東菊花大会の会場となっている。
ながめ余興場
ながめ余興場 | |
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情報 | |
設計者 | 不詳[4] |
施工 | 今泉浅次、萩原金次郎[4] |
建築主 | 持箸米造[4] |
構造形式 | 木造、切妻造、妻入[4] |
建築面積 | 560.333 m² [4] |
延床面積 | 922.318 m² [4] |
階数 | 2階建て |
竣工 | 1937年5月[4] |
所在地 | 〒376-0101 群馬県みどり市大間々町大間々1635 |
座標 | 北緯36度26分5.9秒 東経139度16分47.1秒 / 北緯36.434972度 東経139.279750度座標: 北緯36度26分5.9秒 東経139度16分47.1秒 / 北緯36.434972度 東経139.279750度 |
ながめ余興場(ながめよきょうじょう)は、群馬県みどり市大間々町大間々のながめ公園にある近代和風建築の芝居小屋。「ながめの劇場」とも呼ばれる[4]。公演が行われていないときは見学することができる。
歴史
竣工
渡良瀬川に架かる高津戸橋の西側にはながめ遊園地という娯楽施設があり、北側にある第一会場にながめ余興場がある[4]。1937年(昭和12年)5月、大工棟梁の今泉浅次と萩原金次郎によって建てられた[7]。施主は持箸米造[4]。
映画館化
1965年(昭和40年)には梅沢清(梅沢富美男の父)一座によって最後の芝居興行が行われた[9][7]。その後、2階の桟敷席を改修して土足で上がれる椅子席とし、1965年(昭和40年)から1987年(昭和62年)までは映画館として使われた[4]。
利活用

1987年(昭和62年)以後は空き家となっていたが、保存を求める声が高まったことで、1990年(平成7年)12月26日に大間々町が建物を取得した[4]。1992年(平成4年)6月25日には敬老会による寿連合会芸能発表会が催され、同年6月28日には1100人が参加した町づくり討論会が催された[4]。1995年(平成7年)3月25日には大間々町指定文化財に指定された[9]。
1993年(平成5年)に全国芝居小屋連絡協議会が結成されると[10]、ながめ余興場も全国芝居小屋会議に加盟した[11]。1994年(平成6年)から1997年(平成9年)にかけて改修工事がなされ、枡席の復元などがされた[9]。
建築
木造2階建て[7][4]。切妻造、妻入り[4]。梁間10間、桁行15間[7][4]。軒高は7.30メートル、総高は11.50メートル[7][4]。玄関は唐破風[7][4]。
廻り舞台、花道、2階席などを有する本格的な芝居小屋であり、玄関は東京の歌舞伎座を模したとされる。舞台は幅10間、奥行5間であり、舞台の中央部には直径21尺(約6.3 m)の廻り舞台がある[4]。廻り舞台の動力は人力であり、日本に現存する数少ない手回しの廻り舞台とされている[4]公演が行われていないときは見学することができる。
利用案内
- 休館日[12]
- 火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月28日から1月4日)
- 見学時間[12]
- 午前9時から午後4時(最終入園は午後3時30分)
- 見学料[12]
- 一般:個人 300円 小・中学生 150円
- 団体(20名以上):個人 250円 小・中学生 100円
- 観客収容人数は650人
- 交通アクセス
周辺
- 群馬県道338号駒形大間々線
- 高津戸橋
- はねたき橋
- 大間々神明宮
- 高津戸城
- 高津戸ダム
- みどり市大間々博物館
脚注
- ^ a b 『群馬新百科事典』上毛新聞社、2008年、578頁。ISBN 978-4-88058-988-6。
- ^ 粟田豊三郎『桐里残照 : 桐生地方民俗史話』粟田豊三郎、1985年、107頁。doi:10.11501/9643800。(
要登録)
- ^ a b c d 大間々町誌編さん室 2001, pp. 650–654.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 大間々町誌編さん室 1993, pp. 407–413.
- ^ a b c d 大間々町誌編さん室 1996, pp. 909–926.
- ^ 大間々町誌編さん室 2001, p. 223.
- ^ a b c d e f g h 群馬県教育委員会 2012, pp. 230–231.
- ^ 大間々町町誌編さん室 1997, p. 6.
- ^ a b c d 大間々町誌編さん室 2001, pp. 984–985.
- ^ 芦田徹郎「よみがえる芝居小屋 その社会学的研究序説」『甲南女子大学研究紀要』第52号、2016年、pp.79-91
- ^ 全国の芝居小屋 全国芝居小屋会議
- ^ a b c “ながめ余興場”. みどり市. 2019年10月29日閲覧。
参考文献
- 大間々町誌編さん室 編『大間々町誌 通史編 下巻』大間々町誌刊行委員会、2001年。全国書誌番号: 20161460。
- 大間々町誌編さん室 編『大間々町誌 別巻3 近代・現代資料編』大間々町誌刊行委員会、1996年。
- 大間々町誌編さん室 編『大間々町誌 別巻8 大間々町の建造物』大間々町誌刊行委員会、1993年。
- 大間々町町誌編さん室 編『大間々町の民俗3 大間々市街地』大間々町町誌刊行委員会、1997年。
- 群馬県教育委員会 編『群馬県近代化遺産総合調査報告書』群馬県教育委員会、1992年。doi:10.24484/sitereports.101943。 NCID BA84459460。
- 群馬県教育委員会 編『群馬県の近代和風建築』群馬県教育委員会、2012年。doi:10.24484/sitereports.101999。 NCID BB08932137。
外部リンク
固有名詞の分類
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