その後の押小路烏丸殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 09:56 UTC 版)
「押小路烏丸殿」の記事における「その後の押小路烏丸殿」の解説
「龍躍池」も周辺の開発に従い縮小の一途をたどったようで江戸時代中期の『京町鑑』には「両替町人家の裏に御池の旧跡なりとて今僅かに残り池中に社等有とぞ」と記す。この旧跡は現在も室町通御池上る東側の会計事務所の裏庭に二坪ほどの池として遺っているが、地下水位の下降によって水は確認できない。当該事務所の門前には「二条殿御池跡」の石標も立つ。これがかの栄華を極めた二条家の押小路烏丸殿の地上にある唯一の遺跡である。この池の東側辺り、京都労働局局舎で改築の際に発掘調査(2002年)が行われ、池の州浜などが発掘されている。 二条殿にあったこの池は、のちに現在の「御池通」の名の起源となった。旧地の一角に建てられた小学校は、「龍躍池」の名にちなみ龍池小学校と命名されたが、1995年に廃校となり、跡地は現在旧校舎を一部利用して京都国際マンガミュージアムとなっている。現在は地域名称として「龍池学区」の名を残すのみである(京都の学区参照)。
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