その後のメンフィス・ベル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 08:29 UTC 版)
「メンフィス・ベル」の記事における「その後のメンフィス・ベル」の解説
ヨーロッパ戦線から戻ったメンフィス・ベル号は、フロリダ州タンパにあった第915爆撃飛行隊において訓練機として使用された後、オクラホマ州アルタスに事実上の廃棄処分となっていた。 これを知った当時のメンフィス市長ウォルター・チャンドラーは軍と交渉して、1945年8月25日にメンフィス・ベル号を350ドルで購入した。1946年3月にテネシー州メンフィス市に引き渡されたものの、州兵航空隊基地の格納庫に保管され続け腐食がすすんだ。 このような状況の中で、1972年、メンフィス・ベル号を保存しようと「メンフィス・ベル・メモリアル財団」が設立された。この時の市長で、ウォルター・チャンドラーの息子でもあったワイエス・チャンドラーは、メンフィス・ベル号を一度米空軍博物館に返却し、すぐ借りるという手続きを行い保存運動に貢献した。 しかし、保存運動は一向に進まず、1986年にアメリカ空軍博物館は返却を要求、これに対して保存運動がすすみ、1986年夏に50万ドルの募金が集まり外観、内部ともにレストアされ、「メンフィス・ベル・パビリオン」に展示された。 ノーズアートは、トニー・スターシャの甥によって描き直されている。
※この「その後のメンフィス・ベル」の解説は、「メンフィス・ベル」の解説の一部です。
「その後のメンフィス・ベル」を含む「メンフィス・ベル」の記事については、「メンフィス・ベル」の概要を参照ください。
- その後のメンフィスベルのページへのリンク