その後と現況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:52 UTC 版)
戦後、飛行場跡は福岡県の所有となった。旧住民や引揚者を対象として開拓募集が行われたが、旧住民の応募は少数であり、大半は新移住者で占められた。 開拓により農地(水田)に戻されたが、復帰作業は困難を極めたという。県からの補助金も少なく、農家が多額の資金を負担したと記録されている。また、1948年(昭和23年)には用地配分により、田の1枚が1反という現在の土地区分が出来上がった。 跡地には福岡県立玄洋高等学校や福岡市立元岡中学校などが立地しており、元岡中学校の開校時には訓練所の本部事務所の建物がそのまま利用された(のちに建て替え・新築されている)。 飛行場は廃止されたものの、1951年には跡地にて前田航研工業によるグライダー(SM206号、機体記号:JA2006)の試験飛行が実施されている。 2021年現在、元岡飛行場の痕跡は全く残っておらず、田畑や住宅地となっている。ただし、隣接していた福岡海軍航空隊に関しては西区泉3丁目の泉公園に記念碑が建てられている。
※この「その後と現況」の解説は、「福岡飛行訓練所」の解説の一部です。
「その後と現況」を含む「福岡飛行訓練所」の記事については、「福岡飛行訓練所」の概要を参照ください。
- その後と現況のページへのリンク