その後と遺産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/15 11:11 UTC 版)
「聖ヨハネ騎士団によるアメリカ大陸の植民地化」の記事における「その後と遺産」の解説
マルタ騎士団は、上述の4島のほかに植民地を持つことはなかった。しかしマルタ騎士団員は、その後もフランス海軍や海外植民地で活躍し続けた。18世紀初頭のミシシッピ計画にも、数名の騎士団員が関わっていた。またフランス貴族でマルタ騎士団員でもあったエティエンヌ=フランソワ・テュルゴーがギアナにマルタ人を入植させようとしたが、失敗に終わっている。 4島でのマルタ騎士団による支配は短いものだったが、今でもその記憶が残されている。セントクリストファー島では、ポワンシーの豪勢な邸宅と、騎士団のエンブレムをつけた召使たちの壮観が語り継がれている。セント・クロイ島では、島の歴史を語るうえで、聖ヨハネ騎士団をはじめ島を支配してきた7つの欧米諸国をまとめた「7つの旗」という言葉が頻出する。サン・バルテルミー島では、その紋章のフェスにマルタ十字があしらわれ、騎士団による統治の時代を現代に伝えている。
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