その後と影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 06:35 UTC 版)
時政はその後、二度と政界に復帰することなく建保3年(1215年)、腫物のため北条の地で死去した。また、牧の方も夫の死後は朝雅の元妻で公卿の権中納言・藤原国通に再嫁した娘を頼って上洛し、京都で余生を過ごした。そして、北条氏の第2代執権には義時が就任(ただし、承元3年(1209年)就任説もある)、義時のもとで北条氏は幕府内における地位を確固たるものとしていくのである。 ただし、この事件は、後に北条氏内部で起こる執権職をめぐっての内紛の先駆けにもなった。
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