すぐき発祥の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 16:41 UTC 版)
かつて、深泥池は七つ森七軒村といわれ、その一番森を「消し山」と称し、火伏の神である秋葉神社が1200年前から祀られていた。しかし、神仏混交の社であったが故に、明治の廃仏毀釈の令により、賀茂社の社家が社を打ち壊した。翌年の春、社の修復を怠った村に大火が起こり、村民らは家財農具の一切を焼失した。失意した人々が焼け跡を整理していると、どの家の跡にも漬け物桶だけが焼け残っていた。疲労と空腹に耐えていた人々が漬け物桶をあけると、中の漬物は火が通り、良い匂いがしていた。村の長が漬物の茎を一本試食したところ、「酸い茎や」といった。これがすぐき発祥の歴史である。
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