深泥池貴舩神社とは? わかりやすく解説

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深泥池貴舩神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 16:41 UTC 版)

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深泥池貴舩神社

貴舩神社 一の鳥居
所在地 京都府京都市北区上賀茂深泥池町53番地
位置 北緯35度3分34.342秒 東経135度45分58.463秒 / 北緯35.05953944度 東経135.76623972度 / 35.05953944; 135.76623972 (深泥池貴舩神社)座標: 北緯35度3分34.342秒 東経135度45分58.463秒 / 北緯35.05953944度 東経135.76623972度 / 35.05953944; 135.76623972 (深泥池貴舩神社)
主祭神 高龗神
創建 寛文年間
別名 深泥池貴船神社
例祭 10月23日
主な神事 節分祭 (2月3日)
地図
深泥池貴舩神社
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深泥池貴舩神社(みそろがいけきふねじんじゃ)は、京都府京都市北区上賀茂深泥池町にある神社。単に貴舩神社とも呼ばれる。

概要

貴船本宮洛中からあまりにも遠く、参詣が大変であったため、寛文年間(1660-1670)の10月23日に御分霊が行われ、深泥池の農民らが勧請し、鞍馬街道筋の当地に鎮座したと伝わる。[1]

農耕をはじめ、住民の安寧、除災招福の守護神として信仰されている。

境内社

秋葉神社

祭神:秋葉明神

平成4年(1992)に再建された。

すぐき発祥の歴史

かつて、深泥池は七つ森七軒村といわれ、その一番森を「消し山」と称し、火伏の神である秋葉神社が1200年前から祀られていた。しかし、神仏混交の社であったが故に、明治廃仏毀釈の令により、賀茂社の社家が社を打ち壊した。翌年の春、社の修復を怠った村に大火が起こり、村民らは家財農具の一切を焼失した。失意した人々が焼け跡を整理していると、どの家の跡にも漬け物桶だけが焼け残っていた。疲労と空腹に耐えていた人々が漬け物桶をあけると、中の漬物は火が通り、良い匂いがしていた。村の長が漬物の茎を一本試食したところ、「酸い茎や」といった。これがすぐき発祥の歴史である。[2]

弁財天社

祭神:弁財天

役行者

祭神:役行者

脚注

出典

  1. ^ 深泥池貴舩神社奉賛会 境内説明板「深泥池貴舩神社の由来」1995年。
  2. ^ 柴垣光男 秋葉神社再建記念碑「すぐきの神様秋葉神社の縁起」1992年。



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