じょっぱり家老
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/14 01:13 UTC 版)
「進藤正次 (弘前藩)」の記事における「じょっぱり家老」の解説
剛直な性格で主君に対しても臆せず諌言し、時には厳しく叱責したことで典型的な"じょっぱり"(青森の方言で"強情""頑固者"の意味)の士として知られている。 三代藩主信義が江戸屋敷で他の大名を招いて酒宴を開いたとき、信義が酔い乱れて絡みだしたため、客が宴席から次々と退席しはじめた。怒った信義が退席した客の後を追って屋敷の外へ出ようとしたとき、正次は屋敷の正門を閉めさせると門の前に座り込み主君を通さなかった。門外で騒動になれば幕府から責任を問われるのを危惧したための行動であったが、酒乱の悪癖があった信義は、抜き身の刀をかざして門を開けるよう迫った。正次は血を流しながらも頑として開門を拒否し、諦めた信義が屋敷内に引き上げると、そのまま朝まで門番を続けた。翌朝、酔いが醒めて正気を取り戻した信義は正次の忠諫に感謝し、帰国後加増してその功に報いた。 四代目藩主信政に謁見したとき、信政が自ら算盤を弾いて計算をしているのを見咎めると近習たちに「算盤は下賤の用いるもの。御前に出すべきものではない。早くしまわせよ」と命じた。それでも近習たちが躊躇しているのを見るや、正次は信政の手から算盤を取り上げ庭に投げ捨てたのち「人君たるもの、下賤を手ずからなされず、臣下を良く使ってこそ名君である」と叱責した。 信政は、弘前郊外に"千歳山仮屋形"を作り、そこに名勝地である八橋を真似た庭園を造成し、その出来栄えを周囲に自慢していた。正次は多大な費用と領民の労役をもって作られたこの屋形を気に入らず、「領民を労役し、主君の物好きのために出費させるは人君にあるまじきこと」と批判した。信政の供をして屋形を訪れたさいには終始憮然とした態度を崩さず、信政から庭園の感想を訊かれたところ「自分は若い頃に本物の八橋を見た覚えがありますが、このようにこじんまりとしたものではなく、天然の絶景でこことは比べものになりません」とこき下ろした。
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