鍬形蕙斎
鍬形蕙斎(くわがたけいさい 1764-1824)
鍬形恵斉は、浮世絵師北尾政美でもある。初め北尾重政に師事し浮世絵を学び、そのころ(江戸時代中期以後)数多く出版された、絵を主とする小説冊子である黄表紙の挿し絵画家となる。その後狩野派の門人となり、大和絵や光琳風なども学んだ。
寛政6年(1794)には、岡山津山藩のお抱え絵師となったが、この前後から鍬形姓を名乗ったようである。その後手がけた鳥瞰図では、「江戸名所鳥瞰図」(文化6年1809?)、「江戸名所の絵」(享和3年 1803、)、そして津山城の襖に描いた「江戸一目図」(文化6年 1809)などがよく知られる。
鍬形蕙斎の鳥瞰的な表現は、同時代の葛飾北斎作品に影響を与えたが、そのことを不満に思った彼は、「北斎はとかく人の真似をなす」などと批判したという。

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