からくり人形の大衆化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 05:37 UTC 版)
からくり人形の大衆化に関しては、寛文2年(1662年)に大坂の道頓堀でからくり芝居を興行し大当たりを取った初代竹田近江の功績が大きい。この竹田近江によるからくりの興行は「竹田からくり」と称され、その後約百年にわたって代々からくり興行を続け、からくりの一大ブランドとなった。 また18世紀初めの享保年間には、彦根藩藩士の平石久平次時光によって新製陸舟車という三輪自転車に相当する乗り物が発明された。寛政9年(1796年)には、細川半蔵の著書『機巧図彙』(からくりずい)が出版されている。19世紀には、筑波の「からくり伊賀」こと飯塚伊賀七が人力飛行機や道を歩いて酒を買いに行くからくり人形を作ったとされる。幕末には加賀の平賀源内と称された大野弁吉が空気銃や蒸気船の模型、写真機を作った。石川県には、もとは茶運び人形として作る設計を流用したと見られる弁吉作という三番叟の人形が確認されている。
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