いずもまがたまの里 伝承館とは? わかりやすく解説

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いずもまがたまの里 伝承館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/16 06:13 UTC 版)

株式会社めのや
いずもまがたまの里 伝承館
(2015年9月11日撮影)
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本
699-0202
島根県松江市玉湯町湯町1755-1
設立 1991年
(1901年創業)[明治34年]
業種 小売業
法人番号 6280001002292
代表者 代表取締役社長 新宮 寛人
外部リンク http://www.magatama-sato.com/
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いずもまがたまの里 伝承館(いずもまがたまのさと でんしょうかん)は、島根県松江市玉湯町の勾玉めのう等の製作・販売を行う施設。株式会社めのやが運営[1]。2022年1月31日をもって閉店した[1]

概要

出雲の地は、神話や古代遺跡が数多く残されていた。玉造は古代より、勾玉や玉類の国内有数の生産地だった。その伝統ある「出雲型勾玉」の製作技術を継承するために、勾玉の歴史がわかるミュージアムを、勾玉を製作する細工職人の技術の継承を行うために、間近で「見て」「触れて」「体験できる」施設が建設された。

古事記」には、玉造の勾玉が天照大神に献上され、皇位継承の印である三種の神器の一つ「八尺瓊勾玉」になったと記されている[2]

出雲めのう

1500万年前、花仙山から噴出した溶岩が冷え固まり安山岩となり、地下の熱水の温泉成分が化学反応を起こし「めのう」ができた。特に青緑色の碧玉が、良質、豊富で「出雲石」と呼ばれた。古代、玉は装飾品ではなく、お守りや厄除の意味があり、青は自然や生命を表す色とされ、出雲製の玉は尊いものとされた。玉造りは、平安中期に途絶えたが、江戸時代末期、同じ「めのう」産地の若狭国(現福井県小浜市)で学んだ職人が加工技術を持帰り、櫛や簪(かんざし)などの装飾品を作り復活させた。

明治・大正期には、出雲地方の主要産業となったが、昭和初期には過当競争から廃業が相次ぎ、現在、技術を継承するはわずか一軒である。しかし近年のパワースポットブームで、玉作りの文化は脚光を浴びている。50年ぶりに花仙山[3]で「めのう」原石の採掘が行われた[4]

閉館へ

出雲大社の本殿遷座祭があった2013年には20万人を超える来館者があったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で2021年には来館者は約1万人となり、2022年1月31日に閉館することになった[1]。施設内の本社機能は残され、販売は玉造温泉街にある「めのうやしんぐう」など各店舗に引き継がれる[1]

沿革

  • 1901年(明治34年) - 創業者新宮福次郎が玉造温泉に、「しんぐう めのう店」を創設
  • 1913年(大正2年) - 大正天皇大典に際し、献上の勾玉を製作
  • 1927年(昭和2年) - 昭和天皇の大典に際し、献上の勾玉を製作
  • 1947年(昭和22年) - 山陰行幸に際し、献上品の製作及び天覧
  • 1948年(昭和23年) - 出雲大社宮司千家尊祀の新任に、宮中に献上の美保岐玉を製作
  • 1961年(昭和36年) - 3代目社長に新宮福司郎が就任
  • 1965年(昭和40年) - 島根県行幸に際し、献上品の製作及び天覧
  • 1977年(昭和52年) - 出雲玉作資料館が展示物を納入
  • 1982年(昭和57年)
    • 「島根県ふるさと伝統工芸品」で、めのう製作の指定
    • 第37回くにびき国体の行幸に際し、献上品の製作及び製作実演
    • 当時の皇太子上皇明仁への献上品の製作
  • 1985年(昭和60年) - 「いずもめのう細工伝承館」を開館
  • 1988年(昭和63年) - 4代目社長に新宮正朗が就任
  • 1990年(平成2年) - 天皇明仁の大典に際し、献上の勾玉を製作
  • 1991年(平成3年) - 「有限会社 めのや」設立
  • 2002年(平成14年) - 出雲大社宮司千家尊祐の出雲国造新任に際し、美保岐玉を製作
  • 2008年(平成20年) - 本社を松江市玉湯町から松江市嫁島町に移転
  • 2012年(平成24年) - 5代目社長に新宮寛人が就任
  • 2015年(平成27年) - 「株式会社めのや」が「株式会社しんぐう」を吸収合併[5]

施設情報

  • 勾玉ミュージアム
    • 独立行政法人奈良文化財研究所大賀克彦の監修により、勾玉の歴史資料、天然石が展示されている。日本一の「出雲型勾玉(青めのう、重量75.45kg)」が展示されている。
  • 勾玉製作工房
    • 細工職人による出雲勾玉の製作を目の前で見る事ができる。
  • 勾玉づくり体験工房
    • 専属のスタッフの指導により、天然石を使って各種アクセサリーを作ることができる。
  • 宝探し体験館
    • 水槽の中の砂利の中から、宝石を探し出し持ち帰ることができる[6]

利用情報

  • 休館日 - なし(年中無休)
  • 開館時間 - 午前8時〜午後5時30分
  • 駐車場 - 自動車40台、バス14台、駐車料金は無料

交通アクセス

ギャラリー

脚注

  1. ^ a b c d 【朝刊先読み!】いずもまがたまの里伝承館 閉館へ”. 山陰中央新報. 2022年1月19日閲覧。
  2. ^ 講談社編『週刊日本の街道 70』 - 講談社、「勾玉の里で作られる「めのう」細工」、2003年(平成15年)9月
  3. ^ 三浦清、渡辺貞幸著『島根大学教育学部紀要 人文・社会科学』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、松江 島根大学教育学部、「島根県玉湯町花仙山産碧玉の性質 - 遺跡から出土する碧玉の原産地同定をめぐって」、P25-31、1967年(昭和42年)
  4. ^ 読売新聞、地域、地名の知「玉造」、2015年(平成27年)6月2日
  5. ^ 玉湯町(島根県)著『玉湯町史 上巻(町史序説)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、玉湯町、1961年(昭和36年)
  6. ^ 講談社編『週刊日本の街道 70』 - 講談社、「勾玉の里で作られるメノウ細工」、2003年(平成15年)9月

参考文献

  • 京都帝国大学 文学部考古学研究報告、第10冊、出雲上代玉作遺物の研究』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、刀江書院、1927年(昭和2年)
  • 勾玉編『勾玉 昭和13年4月号』〜『勾玉 平成25年7月号』 - 勾玉発行所、1938年(昭和13年)〜2013年(平成25年)7月
  • 島根県八束郡玉湯町著『玉湯町史 上巻(町史序説)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、玉湯町、「花仙山」1961年(昭和36年)11月3日
  • 水野祐著『勾玉』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、学生社、1968年(昭和43年)
  • 玉湯町立出雲玉作資料館編『玉作りQ&A』 - 玉湯町立出雲玉作資料館、福島浩著「勾玉を作った人々」、1994年(平成6年)3月
  • 『季刊 文化財』 - 島根県文化財愛護協会、1995年(平成7年)3月
  • 講談社編『週刊日本の街道 70』 - 講談社、「勾玉の里で作られるメノウ細工」、2003年(平成15年)9月
  • 島根県古代文化センター編『出雲地方における玉髄瑪瑙製石器の研究』 - 島根県古代文化センター、「島根県出土の玉髄・瑪瑙製石器集成」、2004年(平成16年)3月

関連項目

外部リンク

座標: 北緯35度25分54.83秒 東経133度0分19.37秒 / 北緯35.4318972度 東経133.0053806度 / 35.4318972; 133.0053806




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