アルバトロス【albatross】
あるばとろす
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/10 02:35 UTC 版)
| あるばとろす | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 船種 | フェリー | 
| 船籍 |  日本 | 
| 所有者 | オーシャンフェリー(1972-1976) →オーシャン東九フェリー(1976-1991) ミノアンライン(1991) Dane Sea Lines(1991-2006) ブルースターフェリー(2006) | 
| 運用者 | オーシャンフェリー(1972-1976) →オーシャン東九フェリー(1976-1991) Dane Sea Lines(1992-1997,1999-2004) | 
| 建造所 | 波止浜造船[1] | 
| 姉妹船 | かしおぺあ[1] | 
| IMO番号 | 7225142 | 
| 改名 | あるばとろす(1972-1976) 第十一伊豆(1976-1991) ARETHOUSA(1991) PATMOS(1991-2006) PAT(2006) | 
| 経歴 | |
| 起工 | 1972年1月27日[1] | 
| 進水 | 1972年5月12日[1] | 
| 竣工 | 1972年10月7日[1] | 
| 就航 | 1972年 | 
| 運航終了 | 1991年9月 | 
| 最後 | 2006年、インドで解体 | 
| 要目 | |
| 総トン数 | 7,653 トン[1] | 
| 全長 | 137.8 m[1] | 
| 垂線間長 | 127.0 m[1] | 
| 型幅 | 23.4 m[1] | 
| 型深さ | 7.3 m[1] | 
| 満載喫水 | 5.61 m[1] | 
| 機関方式 | ディーゼル | 
| 主機関 | IHI-SEMT Pielstick 18PC-2V 2基[1] | 
| 推進器 | 2軸 | 
| 最大出力 | 19,080馬力[1] | 
| 定格出力 | 16,218馬力[1] | 
| 最大速力 | 23.1ノット[1] | 
| 航海速力 | 21.5ノット[1] | 
| 航続距離 | 3,140海里[1] | 
| 旅客定員 | 895名[1] | 
| 乗組員 | 79名[1] | 
概要
オーシャンフェリーの第二船として波止浜造船で建造され、かしおぺあとともに1972年に就航した。1976年2月、オーシャンフェリーと東九フェリーが合併してオーシャン東九フェリーが発足、第十一伊豆と改名されて、東京 - 徳島 - 小倉航路に就航した。1991年9月、おーしゃんうえすとの就航により引退した。
1991年、ギリシャのミノアンラインに売却され、ARETHOUSAとなったが、すぐにDane Sea Linesに売却されPATMOSに改名した。1992年、ペラマで改造を受けた後、就航した。 1997年、Dane Sea Linesの破綻により、僚船のRODOS(元あるごう)と共に係船された。2年近く係船された後の1999年に航路に復帰したが、2004年、Dane Sea Linesが再び倒産したため係船された。2006年にブルースターフェリーに売却された後、PATと改称してスクラップとしてインドに回航され、解体された。
航路
オーシャンフェリー
- 就航当初は千葉港を発着していたが、後に東京港まで延長され千葉港は下り便のみ寄港となった。
オーシャン東九フェリー
- 東京港 - 徳島港 - 小倉港(日明埠頭)
Dane Sea Lines (1992-1997)
Dane Sea Lines (1999-2004)
設計
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船内
船室
| クラス | 部屋数 | 定員 | 設備 | 
|---|---|---|---|
| 特別室 | 2名×2室 | 4名 | |
| 特等和室 | 2名×3室 | 6名 | |
| 特等洋室 | 2名×5室 | 10名 | |
| 一等和室 | 4名×10室 2名×20室 | 80名 | |
| 一等洋室 | 4名×20室 | 80名 | |
| 特二等 | 14名×5室 13名×8室 5名×3室 | 189名 | |
| 二等室 | 790名 | 
設備
パブリックスペース
- 案内所
- エントランスホール
- 展望室
供食設備
- レストラン
- 喫茶バー
入浴設備
- 大浴場
娯楽設備
- ダンスホール
事故・インシデント
漁船との衝突
1989年6月19日、1時43分ごろ、新門司港から徳島港へ向かっていた本船は、足摺岬の沖合を航行中、足摺岬灯台の西南西8.5海里の地点でさば一本釣り漁船漁勝丸と衝突した。 本船の左舷船首部に漁勝丸が前方から約80度の角度で衝突し、本船は左舷船首部に擦過傷を生じ、漁勝丸は船首部が大破し、操舵室の右舷側2箇所に凹損を生じた。漁勝丸船長が全身打撲の重傷を負った。事故原因は、漁勝丸が見張り不十分で、前路を左方に横切る本船の進路を避けなかったことで発生したが、本船が警告信号を吹鳴せず、衝突回避の協力動作が不十分だったことも一因とされた[2]。
脚注
外部リンク
- あるばとろすのページへのリンク

 
                             
                    







