『Daisy Music』設立へ
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「佐野元春」の記事における「『Daisy Music』設立へ」の解説
2003年には、デビュー以来所属していたレーベルある、エピックレコードジャパンの25周年記念イベント「LIVE EPIC 25」に参加するも、CCCD問題などでレーベルと対立が発生。翌年2004年6月にはエピックレコードを離れ、自主レーベル『Daisy Music』を発足する。原盤制作および管理は自主レーベルで行い、宣伝と流通はメジャーレコード会社であるユニバーサルミュージックに委託するという、世界的に進むアーティスト主体のメジャーインディペンデントな考えを実践したレーベル形態となっている。 2004年7月21日には、Daisy Musicからの第一弾アルバムとなる『THE SUN』が、4年半ぶりの新譜としてリリースされる。曲毎にさまざまな人物の視点で描かれた短編集のような作りになっている。そしてそれらはすべて「2004年の日本」を生きる人々の歌であり、自由の追求、「連帯」がもつ陰と陽の部分、そして夢を見る力をもつことの尊さが歌われている。 2004年10月から2005年にかけて全国30公演で行われた「THE SUN TOUR 2004-2005」を行う。二部構成のステージとなったこのツアーは、The Hobo King Bandに古田たかし(Dr.)と山本拓夫(Sax)が加わったことで、第一部の佐野元春クラシックではThe Heartland時代からお馴染みのライブアレンジが次々と再現され、続く第二部ではアルバム『THE SUN』がディテールを含めてライブで再現された。スィングしながら縦横無尽に演奏を繰り広げるジャムバンド的な側面も色濃くなり、現在まで続くThe Hobo King Bandのバンドサウンドが確立されたツアーとなった。 2005年夏には「ap bank fes '05」や埼玉県狭山市で開催された「ハイド・パーク・ミュージック・フェスティバル2005」など音楽フェスティバルに意欲的に参加。また、この年に日本上陸となったiTunes Storeへ、インディペンデントレーベルとして最初の参加表明をするなど、インターネット時代のレーベルとしてその基盤を着実に整備していった。
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