『旧唐書』の倭国伝・日本国伝
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「倭人」の記事における「『旧唐書』の倭国伝・日本国伝」の解説
詳細は「旧唐書」を参照 945年に完成した『旧唐書』東夷伝の中には、日本列島について、「倭国伝」と「日本国伝」の二つが並立している。 『旧唐書』倭国伝には「倭國者、古倭奴國也」(倭国とは、古の倭奴国なり)とある(奴国も参照)。 『旧唐書』日本国伝には「日本國者 倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本爲名 或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本 或云 日本舊小國 併倭國之地」とあり、日本は倭国の別種であり、倭国という名前が雅ではないため日本に変えたという説と、小国であった日本が倭国を併合したという説があると記述している(宋代初頭の『太平御覧』にも同様に記載)。森公章は「日本」国号成立後の最初の遣唐使であった702年の派遣の際には国号変更の理由について日本側でも不明になっており、遣唐使が唐側に理由を説明することが出来なかったのでないかとする。大庭脩は「倭国伝」と「日本国伝」の間の倭国(日本)関連記事の中絶期間には、白村江の戦いおよび壬申の乱が含まれており、当時の中国側には壬申の乱をもって「倭国(天智政権)」が倒されて「日本国(天武政権)」が成立したという見解があったとする。
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