『於岩稲荷由来書上』とは? わかりやすく解説

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『於岩稲荷由来書上』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 10:20 UTC 版)

四谷怪談」の記事における「『於岩稲荷由来書上』」の解説

町年寄孫右衛門と茂八郎という人物文政10年1827年)に幕府提出した調査報告書。各町に古来伝わる逸話地誌について報告するために書かれたもので、『文政町方書上』という書の中の『四谷町方書上』編の付録という形をとっている(以下『書上』)。内容貞享年間1684年1688年)、四谷左門町田宮伊右衛門31歳)と妻のお岩21歳)が住んでいて、伊右衛門婿養子の身でありながら上役の娘と重婚して子を儲けてしまった。その事知ったお岩発狂した後に失踪その後お岩祟りによって伊右衛門関係者次々と死んでいき、最終的に18人が非業の最期遂げた田宮家滅亡後元禄年間田宮家跡地市川直右衛門という人物越しその後正徳5年1715年)に山浦甚平なる人物越してきたところ、奇怪な事件起きたこのため自らの菩提寺である妙行寺稲荷勧請し追善仏事行ったところ怪異止んだ--というあらましである。 問題は、書かれたのが鶴屋南北東海道四谷怪談上演され2年後文政10年であるということ南北四谷怪談元に作られ可能性もあるので、早稲田大学名誉教授郡司正勝は「南北自作宣伝するために、袖の下使って書かせたのではないか」と推測している。が、仔細に検討すると『書上』の内容全て作り話であるというのも難しい。

※この「『於岩稲荷由来書上』」の解説は、「四谷怪談」の解説の一部です。
「『於岩稲荷由来書上』」を含む「四谷怪談」の記事については、「四谷怪談」の概要を参照ください。

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