『旅菴全書』の于山とは? わかりやすく解説

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『旅菴全書』(1756)の于山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 07:33 UTC 版)

于山島」の記事における「『旅全書』(1756)の于山」の解説

1756年英祖32年)、申景濬が編纂担当した『旅全書』巻之七「疆界考」に于山の名が表れる本文にある通りこの一節は『輿地志』の記述他の文献地図見比べ于山島鬱陵島別の島で、一島松島で、恐らく二島とも于山国であろうとしている。「その所謂松島」とは、『輿地志』が編纂された後日本に渡った安龍福証言引用している可能性が高い。安龍福上述の『粛宗実録』の記載あるよう松島于山島であるとしている。しかし、この頃すでに多く鬱陵島古地図には『旅全書』の記述同様の表現で「所謂于山島と書いた島が描かれており、これらの島はその位置関係などからほぼ現在の竹嶼」に比定できる。申景濬は竹嶼比定できる于山島日本人のいう松島現在の竹島)と誤認していたことになる。 原文 申景濬『旅全書』巻之七 「疆界考」十二 鬱陵島輿地志云 一説于山鬱陵一島 而考諸圖志二島也 一則其所松島二島 倶是于山國翻訳 申景濬『旅全書』巻之七 「疆界考」十二 鬱陵島思案すると、輿地志では一説于山鬱陵は本来一島であると言っているが、しかし諸図志を考えると、二島である。一つは、すなわちその所謂松島であり、恐らく二島は共に于山国である。

※この「『旅菴全書』(1756)の于山」の解説は、「于山島」の解説の一部です。
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