『大怪獣ガメラ』の特撮
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「大怪獣ガメラ」の記事における「『大怪獣ガメラ』の特撮」の解説
本作では本編と特撮は湯浅憲明と築地米三郎ら両監督の分担扱いとなっているが、実際の現場では両監督が共同で特撮の演出を行っている。当時の大映としても湯浅自身としても、規模の大きな特撮を駆使した怪獣映画の制作は初のことであり、試行錯誤の連続だったという。特撮映画にはもとより光学撮影やフィルム合成が欠かせないが、大映の撮影所には現像所がなく、オプティカル・プリンターは旧式で、フィルムの傷消しに使っていた程度でしかなく、合成の技術者すらいなかった。まだデビュー2作目の新人監督である湯浅は、ベテランのカメラマンから「お前に何がわかる!」と侮られ、毎日が喧嘩だったと述懐している。これには、監督が主導権を持っていた東宝の撮影所と異なり、大映の撮影所は東京も京都も伝統的にカメラマンが主導権を持っていたという背景があった。 こうした中、やがて撮影が遅れ始めた際には、心配した撮影所所長が個人的に「円谷特技プロに知り合いがいるから内緒で円谷監督を呼んでやるぞ、頼んだらどうだ?」と声をかけてきたという。しかし、湯浅は「それはできません!」と断ったといい、あくまで大映独自の特撮作品を創ろうと心に決め、これに臨んだ。とはいえ本作の撮影班は撮影所では「継子扱い」だったといい、周りでは誰も成功するとは思っていなかった。特撮の撮影では莫大な照明量が必要となるが、セットがそもそも特撮に対応していないため、ライトをつけると電気の容量が足りず、本番では他のスタジオの電気を落としてもらった。しかし、「冗談じゃない、お前一人でやってんじゃねえ」と、湯浅は他の撮影班からさんざんに怒られたという。
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