『ペル・イ・プロマ』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/30 06:26 UTC 版)
『四匹の猫』の後継誌として『ペル・イ・プロマ』(Pèl i Ploma)が創刊された。カタルーニャ語でPèlは「動物の毛」、Plomaは「羽根」を意味し、転じて絵筆(美術)と羽根ペン(文芸)を意味した。後期の『ペル・イ・プロマ』は約30ページの堂々たる月刊誌であり、豊富な図版が特徴の美術雑誌だった。『ペル・イ・プロマ』にはバルセロナの著名な文化人のチャコール(木炭)スケッチなどに加え、カザスの油絵の回顧録なども収録されている。カフェ「四匹の猫」は1903年6月に閉店したが、『ペル・イ・プロマ』は100号まで発行を続け、閉店より6か月後に廃刊となった。 『ペル・イ・プロマ』の発行を主導したのは、カフェ「四匹の猫」でも裏方としてカザスらを支えたウトリーリョである。ウトリーリョは『ペル・イ・プロマ』の後継誌として1904年に『フォルマ』を創刊したが、ムダルニズマのピークは既に過ぎており、1908年に廃刊となった。
※この「『ペル・イ・プロマ』」の解説は、「四匹の猫」の解説の一部です。
「『ペル・イ・プロマ』」を含む「四匹の猫」の記事については、「四匹の猫」の概要を参照ください。
- 『ペル・イ・プロマ』のページへのリンク