『ペルシア誌』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:04 UTC 版)
『ペルシア誌』の最初の6巻でアッシリアとバビロンからペルシア帝国の建国までを、残りの17巻で、それから紀元前398年までを扱っている。しかし現存しているのは、フォティオスによる要約と、アテナイオス、プルタルコス、そしてシケリアのディオドロスの中にある断片だけである。とくにディオドロスの第2巻の内容はクテシアスに大きく負ったものである。『ペルシア誌』の価値については、古代から現在にいたるまで、議論の対象となってきた。古代の権威者たちは高い価値があるとして、ヘロドトスの信用を落とすのに『ペルシア誌』を利用したが、多くの人々は歴史的価値は低いと考え、アッシリア王に関するクテシアスの記述は楔形文字の記録と一致しないと主張した。風刺作家のルキアノスはクテシアスの記述がまったく信頼できないと考え、その著書『真実の話(Ἀληθῶν διηγημάτων)』の中で、クテシアスを島流しにした。ルキアノスはこう書いている。「大きな罰を受ける者は、生きている時に嘘を語り、偽りの歴史を書いた者である。その中には、クニドスのクテシアス、ヘロドトスなどが含まれる」(2.31)。
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