オイバレス (キュロス2世の家臣)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > オイバレス (キュロス2世の家臣)の意味・解説 

オイバレス (キュロス2世の家臣)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/25 03:55 UTC 版)

オイバレス古希: Οἰβάρης、ラテン文字転記:Oibares、紀元前6世紀)はアケメネス朝ペルシア王キュロス2世の家臣である。

オイバレスについての記述はクテシアスによって書かれたが現在は散逸している『ペルシア誌』のフォティオスによる要約(cod. 72)に残っている。メディアに服属していたアンシャンの王(後にペルシアの王)キュロスがメディアに反旗を翻して紀元前550年にメディアを滅ぼした時、オイバレスはメディア王アステュアゲスを捕縛した。メディアを併呑したキュロスは次いでリュディアと戦い、オイバレスは紀元前547年にペルシア軍がリュディアの首都サルディスを包囲した時にペルシア軍の格好をした木の人形を城壁の周りにおいて住民にプレッシャーを与える策を献策した。そして、リュディア王クロイソスを捕らえた時には彼を監視した。

キュロスが宦官のペティサカス(Petisaces)にアステュアゲスを呼び寄せるよう命じた時、オイバレスはペティサカスにアステュアゲスを飢え死にさせるよう忠告し、ペティサカスはそのようにした。これが明らかになると、ペティサカスはアステュアゲスの兄妹でネブカドネザル2世の妻だったアミュティス英語版に引き渡され、復讐として目を抉り出されて生きたまま皮をはがれ、磔にされて処刑された。これを知ったオイバレスは自らも同じ運命を辿ることを恐れ、食を断って自殺した。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「オイバレス (キュロス2世の家臣)」の関連用語

オイバレス (キュロス2世の家臣)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



オイバレス (キュロス2世の家臣)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのオイバレス (キュロス2世の家臣) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS