「記念物としての不愉快なもの」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 18:27 UTC 版)
「ジークフリート線」の記事における「「記念物としての不愉快なもの」」の解説
ノルトライン=ヴェストファーレン州では、約30の掩蔽壕がまだ無傷で残っているが、残りのほとんどは爆発物で撤去されたか、ほとんど土に埋もれている。一方、対戦車壕はまだ相当数が現存している。例えば、アイフェルでは、数キロメートル以上に渡って連なっており、大戦中にナチスがプロパガンダに用いた姿を今に伝えている。 1997年以来「記念物としての不愉快なものの意義」(Der Denkmalswert des Unerfreulichen)というモットーと共に、歴史的記念建造物としてジークフリート線の残存物に対し保存命令を出す努力が始められた。これは、ネオナチなどの急進的右翼団体がジークフリート線を宣伝に利用することを止めるために意図され、更に、ジークフリート線の不敗神話を消し去ることも狙っていた。それが記念物に指定され公開されれば、興味を持つ者は誰でも訪れて自分の目で判断することができるからというものである。 同時に、ジークフリート線の遺構を破壊するための国の資金が提供されていた。このため、ジークフリート線のどんな部分でも、例えば道路建設のためなどで撤去される際はいつでも、緊急の考古学的発掘調査が行われた。考古学の活動ではこれらの区画の破壊を止めることこそできなかったが、科学的な知見が深まりジークフリート線の構造の詳細が明らかになった。それらはナチス時代のドイツ軍によって建設されたものであってみれば、これらの軍事的建造物を(ローマの遺構と同じように)保存することが正当かという問題は、常に論争の的になっている。
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