「聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告」(1940年)1940年は教育勅語渙發五十年記念にあたるため、記念式典が行われた。10月文部省内に聖訓ノ述義ニ関スル協議会が設置された。その際に編纂された文部省図書局「聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告」に、教育勅語の逐語訳(現代語訳)および解釈が載っている。ここに載っている逐語訳「教育に関する勅語の全文通釈」が、文部省による公式の現代語訳であり、研究者の間では通称「全文通釈」と呼ばれる。これは一般向けに公開されたものではない(逐語訳を公開すると不敬罪に問われる恐れがあり、文部当局といえども「不敬ではないか」という攻撃を気にせねばならなかった)ため、当時の一般人には知られていないが、数少ない公式の現代語訳であり、新字新仮名にさえすれば2000年代でも割と読みやすいので学生や一般人に説明するときに便利であり、また太平洋戦争期における教育勅語の超国家主義的な解釈を良く示すものとして、後世の研究者の間では知られる。初等科修身 四(1941年)
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文部省が編纂し、1941年より1945年まで使われた国民学校4年の修身の教科書に教育勅語の解説が載っている。極めて戦時色が強い。終戦後は進駐軍によって墨塗りが指示され(墨塗り教科書)、しばらく使われた後に修身の授業自体が停止され、教科書が回収されて廃棄された。
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