「社会的危険分子」の家族への粛清
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「大粛清」の記事における「「社会的危険分子」の家族への粛清」の解説
スターリンは1937年11月7日に「社会主義国家を破壊しようと企むものはだれであろうと、その構成民族の一つでも分離を図ろうとするものはだれであろうと、ソヴィエト国家と国民のゆるしがたい敵である。そしてわれわれはこのような敵一人一人を残らずことごとく、古参ボルシェビキであろうと、その一族、家族もふくめて撲滅する。」と語った。 エジェフは1937年12月「われわれがさらに成功するかどうかは、階級敵のわれわれに対する狡賢いやり方を暴き、この害虫をソヴィエトから排除するわれわれの意思にかかっている」「わがソヴィエト人は全労働者の唾棄すべき敵である大資本家の唾棄すべき奉仕者を最後の一人まで抹殺する」と演説した。エジェフは裏切り者の妻全員を監禁し、15歳以上の子供を「社会的危険分子」として逮捕する命令を出した。 エジェフは「人民の敵」を逮捕するために人数割り当てを盛り込んだ計画を作成し、1937-38年にかけてNKVDは157万5000人を逮捕し、うち68万1692人が処刑され、残りはグラグ(強制収容所)へ収監された。逮捕されたのは労働者、農民、公務員などふつうの人々がほとんどだった。
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