「登頂」とは何か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 06:59 UTC 版)
「ジョージ・マロリー」の記事における「「登頂」とは何か」の解説
たとえ1924年にマロリーとアーヴィンが頂上に到達していたという証拠が見付かっても「初登頂」の栄誉はエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイに与えられるべきだという意見もある。なぜなら、「登頂」とは生きて帰ってこそ意味がある行為だと考えられるからだ。マロリーの息子ジョン・マロリーは3歳で父親を失ったが、「僕にとって登頂とは生きて帰って来ることです。もし父さんが帰ってこなければ決してやりとげたとは言えないのです」と、あまりに有名な父を伝説としてしか知らない寂しさを語っている。 ヒラリー卿も同じような意見を持っていて「もし山に登っても、下山中に命を落としたら何もならない。登頂とは登ってまた生きて帰ってくることまでを含むのだ」と語っている。 最後に、イギリス人登山家でヒマラヤに詳しいクリス・ボニントンは「もし彼らがセカンドステップにとりついていたとしたら、彼らは頂上近くまで行っただろう。そこまで行けばクライマーは皆同じ気持ちになる。だから、2人が頂上に行ったとしても何ら不都合は感じない。私としてはむしろ2人が頂上まで行ったと信じたい。これは夢があるし、人々の心を突き動かす考えだと思う。事実はどうあれ、このことは永遠に不可知のままで良いのではないか」と語っている。
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