「星のチロ像」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 11:01 UTC 版)
チロの死から1月ほど経過したある日、藤井は1通の手紙を受け取った。手紙の差出人は「塩崎宇宙」という人物で、愛媛県八幡浜市在住の彫塑家であった。塩崎からの手紙の内容は、新聞でチロと星仲間たちの話を知って深く感動したので、製作費はいらないからぜひチロの銅像を作りたいという申し出だった。 藤井は銅像になったチロが雨にうたれる姿を想像すると気が進まなかったというが、塩崎からの手紙の続きを読み進めた。塩崎の「宇宙」という名は本名で、幼いころには天文学者を夢見たこともあったという。結局塩崎は好きだった彫刻の道を選び、大阪城の天守閣を飾るしゃちほこなど数多い作品を手掛けてきていた。 藤井は塩崎が30年前に作ったという少年時代の野口英世銅像を見に、猪苗代町にある翁島小学校まで出かけた。銅像のあるその場所は、かつて藤井がチロと一緒に天体写真を撮るために何度も訪れたところだった。今までは夜にしか行ったことがなかったので銅像の存在に気がつくことがなかったが、藤井は銅像のことに加えて「宇宙先生が宇宙犬チロの像をつくる」ということに不思議で奇妙な「めぐりあわせ」を感じていた。 藤井は塩崎の申し出を受け入れることを決め、チロの銅像製作が始まった。銅像は2年の製作期間をかけて「星のチロ像」として完成し、1983年の8月に開催された第9回「星空への招待」会場で披露された。会場に集まった2,000人の天文ファンは、チロとの「再会」を喜んで大きな拍手を送った。 塩崎は「星のチロ賞」トロフィーの製作も手がけた。このトロフィーは、10年間に14人の「星のチロ賞」受賞者に対して贈呈された。その後の「星のチロ像」は、かつての「星空への招待」会場跡に建てられた浄土平天文台に展示されている。
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