「星のチロ賞」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 11:01 UTC 版)
チロの死の知らせは、日本中の星仲間や天文ファンに瞬く間に広がっていった。チロの死を悼む電報や手紙が、次々と藤井のもとに寄せられた。 白河天体観測所でチロとともに星を見続けた星仲間や、「星空への招待」に参加した天文ファン、隕石捜索団のメンバーなどチロを直接知っている人々以外にも、星の雑誌や本、テレビ出演やマスコミの取材などを通じてチロの活躍に注目し続けていた天文ファンなどからも多くの便りが届けられた。その数は3,000通を超え、中には500円、1,000円などとチロ宛の香典が添えられているものもたくさん混じっていた。 藤井はこのお金をどうしたものかと思案したが、他の天文ファンからそれを基金にしてチロを記念する天文賞を創設してはどうかという提案が寄せられた。その提案は多くの賛同を得て、「星のチロ賞」が誕生した。「星のチロ賞」の選考委員には、当時の国立天文台長の古在由秀、東京大学教授の小尾信彌、そして白河天体観測所の創設メンバーでもある村山定男など天文学界の著名な人々があたることになった。これらの人々は、白河天体観測所や「星空への招待」の会場などでチロとともに星空を見上げたことがあり、みなチロと深くかかわっていた。 「星のチロ賞」の第1回受賞者となったのは、福岡のアマチュア天文家で反射望遠鏡の鏡面を600面も磨いて多くの天文ファンに星を観測する楽しみを与えた星野次郎と、香港に当時世界一のプラネタリウムを開設するために尽力した香港天空館館長の廖慶斉だった。第2回目の受賞者には、当時の仙台市天文台長で長きにわたって天文普及に尽くし、チロの隕石捜索団にも協力を惜しまなかった小坂由須人が選ばれた。
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