「尖閣諸島」切手
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沖縄返還直前の1972年4月14日、沖縄で郵便事業を行っていた琉球郵政庁は記念切手「海洋シリーズ」の第3集「海鳥と海と島」を発行したが、これは尖閣諸島の南小島でアホウドリ が羽根を休める風景を描いたものだという。これは琉球郵政庁が切手を発行する権限があるうちに、尖閣諸島は沖縄の島であることを主張する切手を残すためであった。 公式には切手の題目は「海鳥」とされているが、これは領有権を主張し始めた中華民国政府に対する配慮から、アメリカから発行中止命令 を受けないためのカモフラージュであった。1971年に琉球大学の調査によりクロアシアホウドリとアホウドリが尖閣諸島に生息することが確認されたことから、琉球郵政庁の切手発行担当者は原画担当者の安次富長昭にアホウドリを描くように指示した。安次富は調査団の説明からイメージを膨らませたという。このようにして「琉球」の名で尖閣諸島切手が発行された。 また、担当者は第1集の「夕陽と島」でも魚釣島に沈む夕陽にしようと目論み、写真撮影のため原画技官を2週間にわたり出張させたが、荒天のため尖閣諸島にたどり着けず、やむなく慶良間の海と島に変更されたという。
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