裏長屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 05:51 UTC 版)
江戸の町人地の町割りは、道から道までの内法が京間(1間=6尺5寸、約2メートル)60間で計画された。この正方形の大きさは、平安京の1町の寸法とほぼ同じで、京都を意識して計画されたことが指摘されている。ただし、京都と異なるのは、この正方形の内側を有効に使うため、60間を3等分している点で、このため通りに面する町屋の敷地の奥行きは20間に統一されていたことになる。大店の場合、通り側を店としてその奥に商品を保管する蔵や奉公人の住まいを設けて敷地を目一杯利用したが、多くの場合は通り側に「表店(おもてだな)」と呼ばれる店舗兼住居を建ててその背後に「裏長屋」と呼ばれる長屋を設けた。裏長屋は表店の主人が大家となり、店子に貸し出される借家である。裏長屋へは、2軒の表店の間に設けられた木戸と路地から出入りした。 このように、表店を5間程度の奥行きに抑え、その奥に裏長屋を取る構成はかなり定型化されており、長屋の各戸の間取りも「9尺2間の裏長屋」といわれるように、間口1間半、奥行き2間ほどで土間まで含めた広さ6畳程度が定番である。手前側に設けた土間にかまどと流しを備え、畳敷きの部分は4畳半ほど。裏長屋の各戸は同じ平面で、表店の間口が3間程度なら片側、5間程度なら両側に並んでいた。路地の一角に、便所と井戸が共同で設けられる点も定型で、この井戸は井戸水ではなく神田上水や玉川上水から分岐した、いわば水道水である。 こうした表店と裏長屋の構成は、江戸時代中期に成立したとみられている。江戸の人口は享保年間ですでに100万人を越え、町人はその半分を占めていた。裏長屋は、この巨大な人口を収容するために生まれた、過密都市ならではの住居だった。 町人地の町割り 長屋一戸分の外観 長屋の室内
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