妻達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 05:51 UTC 版)
「ヨハネス8世パレオロゴス」の記事における「妻達」の解説
ヨハネス8世は三度結婚したが、いずれに於いても子供は生まれなかった。 アンナ・パレオロギナ(Άννα Παλαιολογίνα, ローマ字転写: Anna Palaiologina, 1403年 - 1417年8月) - 幼名アンナ・ヴァシリエーヴナ(Анна Василиевна, ローマ字転写: Anna Vasil'evna)、モスクワ大公ヴァシーリー1世ディミトリエーヴィチの娘、ドミトリイ・ドンスコイの孫娘。生年に関しては諸説あり。1414年に結婚。1416年 - 1417年にかけてコンスタンティノポリス一帯を襲ったペストにより死去し、リプス修道院に葬られた。 ソフィア(Σοφία, ローマ字転写: Sophia di Monferrato, 生年不詳 - 1434年8月21日) - モンフェラート侯テオドーロ2世パレオロゴの娘。1421年1月19日に結婚。ヨハネス・ソフィアの結婚式は共治帝の戴冠式とを併せて行われ、壮大な祭礼になったと記されている。しかし歴史家ドゥカスによると、彼女は容貌がすぐれなかった為、ヨハネス8世はこれを愛さず、父マヌエル2世の死後早々に離婚してしまったという。ソフィアは1426年8月に故国イタリア・モンフェラートに帰国し、残る生涯を修道女として過ごした。ちなみに彼女も夫同様パレオロゴス家出身である。 マリア・コムネネ・パレオロギナ(Μαρία Κομνηνή Παλαιολογίνα, ローマ字転写: Maria Komnene Palaiologina, 生年不詳 - 1439年12月17日) - トレビゾンド皇帝アレクシオス4世メガス・コムネノスの娘、ヨハネス4世メガス・コムネノスの姉妹。美貌で広く知られており、それがヨハネス8世の気に入ったと言われている。1427年8月29日にコンスタンティノポリスに来航。翌9月に結婚。夫ヨハネスがフェラーラ・フィレンツェ公会議から帰国途中の1439年12月17日死去し、同じ頃死去したヨハネス7世パレオロゴス帝の皇妃(皇太后)エイレーネー・エフゲニア・ガッティルシオと共にパントクラトル修道院に葬られた。ヨハネスは妻の死を知らずに帰国し、その知らせを聞いて大いに落胆したという。
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