2006 FIFAワールドカップ 本大会

2006 FIFAワールドカップ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 04:06 UTC 版)

本大会

概要

無風・欧州中心の大会

強豪国が次々と敗れて新興国が上位に進出し、「新時代の到来」と呼ばれた2002年日韓大会から打って変わり、本大会は波乱が殆ど起こらない、順当な上位の顔ぶれとなった。

グループリーグでは、組合せに恵まれなかったものの強豪と互角に戦ったコートジボワール、「出場全チーム中最弱」と万人に目されながらイングランドスウェーデンを苦しめたトリニダード・トバゴなどの好チームも見受けられたものの、概ね下馬評通りに大会が進んだ。2年前のUEFA欧州選手権2004で素晴らしいサッカーを披露し、上位進出の呼び声も高かったチェコが、曲者揃いのグループで敗退したことは、数少ないサプライズであった。

また、ガーナメキシコオーストラリアを除く13チームが欧州・南米勢により占められた決勝トーナメント1回戦でも、強豪同士の潰し合いでスペインオランダが姿を消した以外、強豪国が順当に勝ち上がっている。

1998年フランス大会以来2大会ぶりに欧州・南米勢のみで占められた準々決勝では、下馬評で圧倒的な優勝候補と目されていたブラジル、グループリーグで「最も華麗なチーム」と呼ばれたアルゼンチンの南米2強がいずれも姿を消し、ベスト4は1982年スペイン大会以来、6大会ぶりに欧州のチームが独占した。

審判改革、カードの乱発

誤審問題で大揺れした日韓大会の反省から、本大会では審判に関して様々な改革が行われた。従来はバラバラの国から選んでいた主審、副審を、意思の疎通がしやすいよう出来るだけ同国出身の組合せに統一し、更に組合せを試合ごとにシャッフルせずにチームを組ませ、試合中にはインカムで連絡を交わすことで、ジャッジの向上を図った。更に、遅延行為などに対する判定はより厳しくすることが求められた。

この審判改革は一定の成果を挙げたが、ジャッジが厳格化されたことから、結果的には前回大会をはるかに越える枚数のカードの乱発を生んだ(1大会の退場者総数28人は史上最多)。審判がカード提示の記録をミスして、同一選手に3枚のイエローカードが提示された一次リーグF組のクロアチア対オーストラリア戦、ワールドカップ史上最多タイの16枚のイエローカード、最多の4枚のレッドカードが提示された決勝トーナメント1回戦のポルトガル対オランダ戦など、いくつかの試合においてはまたもその判定が物議を醸すこととなった。

なお、日本から派遣された上川徹が、グループリーグのポーランドエクアドル戦、イングランド対トリニダード・トバゴ戦、並びに3位決定戦のドイツポルトガル戦の3試合で主審を務め(副審として組んだのは日本人の広嶋禎数と韓国人の金大英)、日本人として初めてワールドカップで2試合以上、かつ決勝トーナメントの笛を吹いた主審となっている。

4強各国の躍進、ブラジルの失墜

前述したように、全体的には波乱が殆ど起こらなかった本大会だが、ベスト4の顔ぶれはそれなりに意外なものとなった。特に世界を驚かせたのは、開幕前の下馬評が非常に低かったドイツとフランスの躍進である。

タレントに欠けると言われ、親善試合でも結果が出なかった開催国のドイツは、蓋を開ければ抜群の得点力を武器に勝ち進み、戦前の予想を大きく覆す3位に入賞。クローゼが得点王にも輝いた。また、予選、親善試合、更には開幕後のグループリーグでも大苦戦し、早期敗退が有力視されたフランスは、本大会限りで引退するジダンの花道を飾ろうとチームが団結し、最終的には準優勝に輝いた。 大会開催前に勃発した国内リーグ、セリエAのカルチョ・スキャンダルの影響が心配されたイタリアは、全7試合でわずか2失点(うち1点はオウンゴール)という伝統の守備が光り、24年ぶり4回目の優勝を果たした。ちなみにこの時のイタリア代表は登録選手全員がセリエA所属であり、国内リーグ所属選手のみで構成されたチームが優勝するのは1982年のイタリア代表以来であった。 開幕前はダークホース扱いだったポルトガルは、グループリーグを3戦全勝で突破し、苦しみながらも1966年イングランド大会以来40年ぶりに準決勝に進出し、4位に入賞した。

対照的に、「カルテット・マジコ」と呼ばれる豪華な攻撃陣を抱え、圧倒的な優勝候補筆頭に挙げられていた前回優勝国のブラジルは、自慢のカルテットが全く機能せずに準々決勝でフランスに敗退。王者の座をイタリアに明け渡すことになった。

人種差別問題

決勝トーナメント1回戦のフランス対スペインの試合前において、フランス黒人選手に対して罵る行為がおきた。そのため、準々決勝4試合において人種差別に反対する声明を起こした。

チケット問題

チケットの転売を防止するために、前回の日韓大会よりチケットに購入者の名前を記載した観戦チケットを発行したが、本大会は更にICチップをチケットに組み込み、チケットを発行した。このICチップには、購入者の名前、生年月日、パスポート番号などの個人情報をホストコンピューターに記録し、チケットに記載されている購入者の名前と共に身分証明書とチケットを照合し、本人確認が出来るシステムを行なった。組織委員会は「他人名義での入場は許可しない」と公式見解を示し、入場者には入場時に写真や自署入りの身分証明書を携帯するように呼びかけた。チケットはインターネットを通じて販売した約307万枚の他に公式スポンサーや各国サッカー協会に分配された。
しかし2006年春頃よりスポンサーが顧客などに贈ったはずのチケットやVIP用チケットが、インターネットオークションに大量に流出。更にはチケットに購入者として名義登録された人が、今回のシステムを十分に理解しながら他人に譲渡した例も多く、厳しい本人確認を行なえば、ゲートの混乱は避けられないと予想された[11]

結局大会が開催されると本人確認は行なわれず、チケットが本物であれば入場が出来た。入場の際は、ICチップ部分を入場ゲートの読み取り部分にかざし、真贋を見分ける方法を取った。これにより会場外ではダフ屋が横行、更には開催まで間に合う試合に関してはインターネットオークションでも転売された[12]。最終的にICチップを利用した本人確認、転売防止策は失敗に終わり、ICチップはチケットの真贋のみに利用されただけであった。

日本戦チケット騒動

また前々回のフランス大会、前回の日韓大会に続き、またもやチケットに関する問題が発生した。

ワールドカップの観戦ツアーを予定していたマックスエアサービス(マックス社)が、開幕戦直前となる2006年5月31日に観戦ツアーの中止を発表した。マックス社は5月30日の夜、自身のホームページを通じ「観戦ツアーを全てキャンセルする」と発表。突然の中止発表にツアーの参加予定は混乱し、問い合わせが相次いだ翌日の31日にマックス社は会見を行い、「中国側にだまされた」とし、ツアーの中止に関して謝罪した。

マックス社は知人の中国人男性から「中国国際体育放遊公司」社を紹介され、2006年1月に3744人分のチケット入手を依頼する契約を締結。マックス社はFIFAからの中国サッカー協会割当分を入手を見込んでいたため、その入手のために公司と契約、その際公司側から「2008年には北京オリンピックがあり、各大使館との間でW杯チケットと五輪チケットを交換する約束が出来ている。」と説明を受け、契約の際に「公社がチケットを確保出来なかった場合、受け取った金額はマックス社に全額返金する」と記載されていた。更に公司側より「チケット代金を払ってもらわないと、チケットを入手出来ない。」と要求されたため、マックス社はチケット入手予定者の名簿を渡し、中国側に代金約8000万円を支払った。しかし5月下旬になってもチケットが届かなかったため、社長自ら北京に出向いたところ、5月29日になって公司側より「チケットが入手出来ない。あと3日待って欲しい。」と言われ、同日夕方より先方と連絡が取れなくなった(尚、中国国際体育放遊公司は、中国のスポーツ部門の監督省庁である国家体育総局直属の国家第1旅行会社である。)[13][14]

この事態に国土交通省は観戦ツアーを計画している旅行会社に対し、チケット確保に万全を期するように決め、31日付で日本旅行協会に通達、チケット入手先との契約などを改めて点検し、参加者の募集を終えた後も入手先との連絡を密に取ることなどを決めた[15]。またツアー中止の報道を受け、ツアーを企画している旅行代理店には「チケットの入手は大丈夫か?」との問い合わせが殺到した。

この時点で公司側は「代金の9割は返金した。残りの1割が未返金なのは、チケットを確保出来る見込みがあるから。」と語った。しかしながらマックス社は「約半分は返金されたが、残り半分は返金されていない。」と語り、両者の言い分が食い違う事態となった[16]

その後マックス社は、再度会見を行なった。会見の場で、ツアーに申し込んだ顧客1270人のうち、すでに代金を支払った866人に対し、ツアー中止発表後に国内のチケット業者からチケットを購入した148枚を割り当てた顧客と、自力でチケットを入手した顧客を含めた計258人分のツアーは予定通り手配したが、残りの608人に対してはツアー代金の返金の目処が立っていないことを発表した。また中国側より支払代金の一部4120万円は返金されたが、残りの代金3080万円はまだ返金されておらず、「中国側に損害賠償を請求するほか、社の全資産を償却してでも、最終的には顧客に全額返金したい。」と語った。また国交省の調べたところ、チケットの発送等の遅れにより、この日までにツアーを企画した29社中13社で計250枚のチケットが、未入手であることが判明した[17]

この騒動に乗じて、旅行業者登録の無い業者「WC-tours」が、業者登録があるかのようにチケット付き観戦ツアーを企画、ホームページで参加者を募集する事態も発生。「申し込み日翌日より3営業日に申込金全額を支払わなければ、自動的にキャンセル」と客に支払いを急がせる記載をした。同社は6月1日に毎日新聞の取材に対し「チケットは200枚用意し、現地にて手渡す予定。ツアーは20-30種類で35万-90万円。ほとんど残りは無い。」と説明したが、後日連絡が取れなくなった。このような代金の振込みを急がせる記載を行なったため、実際に代金を振り込んでしまった客もいた。尚、この業者が記載していた東京都の登録番号は別の業者の登録番号であり、当時すでに登録が抹消されていた。また日本旅行業協会も「登録していた事実は無い。」とし、記載されていた住所も別の会社が入居していた。これに対し東京都産業労働局は「正規に登録している業者なら都として指導できるが、登録番号を偽装している業者には指導が出来ない。」と語り、注意を呼びかけるのが精一杯であった[18]

6月15日、マックス社は東京地裁に自己破産を申し立てるなどの法的手段を取り、ツアー申込者への全額返金が出来ない事態となった[19]

賞金

32か国の全ての出場チームに準備金として100万スイス・フラン(約9000万円)、グループリーグ全3試合分のマッチフィーとして、600万スイスフラン(約5億4千万円)、合わせて700万スイスフラン(約6億3000万円)を支給。これが本大会出場国の最低保障となる。以後勝ち上がるごとに、賞金は増えていく。決勝トーナメント進出(ベスト16)で850万スイスフラン(約7億6500万円)。ベスト8で1150万スイスフラン(約10億3500万円)。ベスト4で2150万スイスフラン(約19億3500万円)。優勝すれば2450万スイスフラン(約22億500万円)。前回の2002年の日韓大会の優勝賞金は1620万スイスフラン(約14億5500万円)。FIFAがドイツ大会で支払った賞金などの総額は3億3200万スイスフラン(約298億8000万円)。ユーロや米ドルではなく、スイスフランで支払われるのは、FIFA本部がスイスのチューリッヒにあるためである(出典:週刊サッカーマガジンNO.1256 2009.9.15)。

トロフィー

優勝トロフィーは、3代目になる。地球を2人の人間が支えるデザインで、2代目の大陸と日本が陸続きになっていたのが正確に修正された。高さ36.8 cm、重さ6175g。前大会までは、優勝国が次の大会まで管理していたが、今大会からは表彰式直後にFIFAによって回収・保管されることになり、優勝国にはレプリカが贈られることになった。

その他

  • 上記のとおり、前回優勝国の推薦シード出場が廃止されたため、開幕戦は従前の前回優勝国に関係する試合ではなく、開催ホスト国のドイツが出場する試合が割り当てられた[注釈 5]
  • FIFA2004年ゴールデンゴールシルバーゴール両方式での延長戦を廃止したのに伴い、この大会から決勝トーナメントにおける延長戦は3大会ぶりに前・後半フルタイム必ず行う旧来の方式に戻された。
  • 前回の2002年日韓W杯で疲労から波乱が続出したことから、今大会からW杯本大会前休養期間が設けられ、現在も継続している。
  • 3大会連続3回目の出場となった日本は、3戦1分2敗でグループリーグ敗退。中立地での初勝利は叶わなかった。またアジアの出場国すべてがグループリーグ敗退に終わり、アジア勢の躍進はならなかった。
  • ジネディーヌ・ジダンルイス・フィーゴオリバー・カーンパベル・ネドベド中田英寿など、何人かの有力選手がこの大会限りで現役生活や代表に別れを告げた。
  • 大会前は「ロナウジーニョのための大会」と言われていたが、今大会は良くも悪くも「ジダンのための大会」であったと言える。ジダンは今大会のMVPに選ばれている。
  • 大会史上初めて、ハットトリックの達成者が出なかった。
  • ロナウド(ブラジル)がゲルト・ミュラー(西ドイツ)の14得点を抜き、ワールドカップ通算得点歴代1位(15得点)になる。
  • 決勝はイタリア対フランスであったが、各ユニフォームプーマ社製とアディダス社製であり、両社ともドイツの企業である。
  • 本大会のドイツ代表を追いかけたドキュメンタリー映画『Deutschland. Ein Sommermärchen』がある。監督は『ベルンの奇蹟』を撮ったゼーンケ・ヴォルトマン。タイトルはハインリヒ・ハイネの叙事詩『Deutschland. Ein Wintermärchen』(邦題『ドイツ。冬物語』)の捩りであり、叙事詩がメランコリックな内容であったのに対し映画は楽天的で明るい内容であるという皮肉的な意味を持つ。
  • フランスは優勝を逃したが、地区予選から決勝までの全17試合が無敗であり(PK戦は勝敗に関わらず引分扱い)、1990年大会で優勝した西ドイツが作った記録である13試合を上回った(2014年大会の優勝のドイツが同じく決勝まで17試合で無敗)。

会場一覧

スタジアムのうち、命名権による名称がつけられた7施設についてはFIFAとの取り決めで大会中スタジアムの呼称を「FIFAワールドカップ・スタジアム(都市名)」(: FIFA World Cup Stadium, ○○: FIFA Weltmeisterschaft Stadion ○○ / FIFAヴェルトマイスターシャフト・シュタディオン・○○)と一時的に変更し開催された。

ベルリン ミュンヘン ドルトムント シュトゥットガルト
オリンピアシュタディオン アリアンツ・アレーナ
(FIFAワールドカップスタジアム・ミュンヘン)
ジグナル・イドゥナ・パルク
(FIFAワールドカップスタジアム・ドルトムント)
ゴットリーブ・ダイムラー・シュタディオン
クラブ: ヘルタ・ベルリン バイエルン・ミュンヘンTSV1860ミュンヘン ボルシア・ドルトムント VfBシュトゥットガルト
北緯52度30分53秒 東経13度14分22秒 / 北緯52.51472度 東経13.23944度 / 52.51472; 13.23944 (Olympiastadion (Berlin)) 北緯48度13分7.59秒 東経11度37分29.11秒 / 北緯48.2187750度 東経11.6247528度 / 48.2187750; 11.6247528 (Allianz Arena) 北緯51度29分33.25秒 東経7度27分6.63秒 / 北緯51.4925694度 東経7.4518417度 / 51.4925694; 7.4518417 (Signal Iduna Park) 北緯48度47分32.17秒 東経9度13分55.31秒 / 北緯48.7922694度 東経9.2320306度 / 48.7922694; 9.2320306 (Mercedes-Benz Arena)
収容人数: 77,176[20] 収容人数: 66,000[21] 収容人数: 64,000[22] 収容人数: 54,267[23]
ゲルゼンキルヒェン ハンブルグ
ヴェルティンス・アレーナ
(FIFAワールドカップスタジアム・ゲルゼンキルヒェン)
AOLアレーナ
(FIFAワールドカップスタジアム・ハンブルク)
シャルケ04 ハンブルガーSV
北緯51度33分16.21秒 東経7度4分3.32秒 / 北緯51.5545028度 東経7.0675889度 / 51.5545028; 7.0675889 (Arena AufSchalke) 北緯53度35分13.77秒 東経9度53分55.02秒 / 北緯53.5871583度 東経9.8986167度 / 53.5871583; 9.8986167 (AOL Arena)
収容人数: 53,804[24] 収容人数: 51,055[25]
フランクフルト カイザースラウテルン
コメルツバンク・アレーナ
(FIFAワールドカップスタジアム・フランクフルト)
フリッツ・ヴァルター・シュタディオン
アイントラハト・フランクフルト 1.FCカイザースラウテルン
北緯50度4分6.86秒 東経8度38分43.65秒 / 北緯50.0685722度 東経8.6454583度 / 50.0685722; 8.6454583 (Commerzbank Arena) 北緯49度26分4.96秒 東経7度46分35.24秒 / 北緯49.4347111度 東経7.7764556度 / 49.4347111; 7.7764556 (Fritz-Walter-Stadion)
収容人数: 50,132[26] 収容人数: 41,170[27]
ケルン ハノーファー ライプツィヒ ニュルンベルク
ラインエネルギーシュタディオン
(FIFAワールドカップスタジアム・ケルン)
AWDアレーナ
(FIFAワールドカップスタジアム・ハノーファー)
ツェントラールシュタディオン イージークレジット・シュタディオン
(フランケン・シュタディオン)
1.FCケルン ハノーファー96 FCザクセン・ライプツィヒ 1.FCニュルンベルク
北緯50度56分0.59秒 東経6度52分29.99秒 / 北緯50.9334972度 東経6.8749972度 / 50.9334972; 6.8749972 (RheinEnergie Stadion) 北緯52度21分36.24秒 東経9度43分52.31秒 / 北緯52.3600667度 東経9.7311972度 / 52.3600667; 9.7311972 (AWD-Arena) 北緯51度20分44.86秒 東経12度20分53.59秒 / 北緯51.3457944度 東経12.3482194度 / 51.3457944; 12.3482194 (Zentralstadion) 北緯49度25分34秒 東経11度7分33秒 / 北緯49.42611度 東経11.12583度 / 49.42611; 11.12583 (EasyCredit-Stadion)
収容人数: 46,120[28] 収容人数: 44,652[29] 収容人数: 44,199[30] 収容人数: 41,926[31]
 

は屋内競技場を指す。


注釈

  1. ^ 今大会の開催国決定日。
  2. ^ 西ドイツ時代を含む。
  3. ^ チェコスロバキア時代を含む。チェコとしては初出場。
  4. ^ ユーゴスラビア王国、ユーゴスラビア時代を含む。セルビア・モンテネグロとしては初出場。
  5. ^ 以後も、W杯開幕戦は主催国の試合が割り当てられ、組み合わせも「A組1番」に固定されている

出典

  1. ^ FIFA president Blatter a big loser with Germany getting 2006 World Cup. 2000 SoccerTimes.com
  2. ^ “サッカー=06年W杯招致で不正か、独誌が報道”. ロイター. (2015年10月16日). http://jp.reuters.com/article/2015/10/17/soccer-worldcup-germany-idJPKCN0SB03B20151017 2015年10月18日閲覧。 
  3. ^ “独会長、送金経緯を説明できず 招致買収疑惑で”. 朝日新聞. (2015年10月23日). http://www.asahi.com/articles/GCO2015102301001169.html 2015年10月24日閲覧。 
  4. ^ “独サッカー=ドイツ協会、FIFAへの支払い説明できず”. ロイター. (2015年10月23日). http://jp.reuters.com/article/2015/10/23/fifa-s-idJPKCN0SH07W20151023 2015年10月24日閲覧。 
  5. ^ “「賄賂あった」とDFB前会長 06年W杯招致、独誌報じる”. 日本経済新聞. (2015年10月23日). http://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK50996_T21C15A0000000/ 2015年10月24日閲覧。 
  6. ^ “ドイツサッカー連盟会長が辞任 脱税容疑で捜査受ける”. 朝日新聞. (2015年11月10日). http://www.asahi.com/articles/ASHCB2R51HCBUHBI00B.html 2015年11月28日閲覧。 
  7. ^ “ドイツ連盟会長が辞任 W杯ドイツ大会招致の買収疑惑で”. 産経新聞. (2015年11月10日). http://www.sankei.com/sports/news/151110/spo1511100005-n1.html 2015年11月28日閲覧。 
  8. ^ FIFA agreed to raise number of finalists”. 国際サッカー連盟 (2003年5月3日). 2012年1月15日閲覧。
  9. ^ Oceania receives direct slot”. 国際サッカー連盟 (2002年12月18日). 2012年1月15日閲覧。
  10. ^ 32 teams for the 2006 FIFA World Cup”. 国際サッカー連盟 (2003年6月28日). 2012年1月15日閲覧。
  11. ^ W杯チケット 本人確認できるの? 朝日新聞夕刊2006年6月3日付
  12. ^ ダフ屋出た 「IDチップ」意味なし? 入場確認スルー 毎日新聞2006年6月10日付
  13. ^ W杯チケット届かず 読売新聞夕刊2006年5月31日付
  14. ^ ツアー中止 バイト代ためたのに「早く代金返して」 毎日新聞2006年6月1日付
  15. ^ 「チケット確保に万全を」W杯 国交省、旅行会社に要請へ 読売新聞夕刊2006年6月1日付
  16. ^ W杯観戦大丈夫? 問い合わせ相次ぐ 毎日新聞2006年6月2日付
  17. ^ W杯ツアー中止 600人分返金のメド立たず チケット不足 さらに13社250枚 読売新聞2006年6月6日付
  18. ^ W杯ツアー 幽霊業者が募集 旅行業者無登録 1億円集金 毎日新聞2006年6月7日付
  19. ^ W杯チケット マックス社破産へ 弁済できず 毎日新聞2006年6月16日付
  20. ^ Berlin”. FIFA (Fédération Internationale de Football Association). 2006年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月16日閲覧。
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  22. ^ Dortmund”. FIFA (Fédération Internationale de Football Association). 2006年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月16日閲覧。
  23. ^ Stuttgart”. FIFA (Fédération Internationale de Football Association). 2006年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月16日閲覧。
  24. ^ Gelsenkirchen”. FIFA (Fédération Internationale de Football Association). 2006年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月16日閲覧。
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  27. ^ Kaiserslautern”. FIFA (Fédération Internationale de Football Association). 2006年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月16日閲覧。
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  31. ^ Nuremberg”. FIFA (Fédération Internationale de Football Association). 2006年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月16日閲覧。
  32. ^ The FIFA TSG nominates 23 players for the MasterCard All-Star squad”. FIFA.com (2006年7月7日). 2014年11月22日閲覧。





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