鹿鳴館 (戯曲) 映画

鹿鳴館 (戯曲)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 13:53 UTC 版)

映画

鹿鳴館
監督 市川崑
脚本 日高真也市川崑
原作 三島由紀夫
製作 川本源司郎
出演者 浅丘ルリ子
中井貴一
沢口靖子
井川比佐志
渡辺篤史
尾美としのり
常田富士男
浜村純
神山繁
岸田今日子
三橋達也
石坂浩二
菅原文太
音楽 山本純ノ介谷川賢作
撮影 小林節雄
編集 長田千鶴子
配給 東宝
公開 1986年9月20日
上映時間 125分
製作国 日本
言語 日本語
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東宝配給で1986年(昭和61年)9月20日に公開された。上映時間は125分。貸ビル「丸源」を多数所有していた実業家の川本源司郎が「マルゲンフィルム」名義で製作し、数億円を投じて再現された鹿鳴館や影山伯爵邸の豪華セット、セリフを舞台風に読ませた大胆な演出などで話題になった。しかし作品は、マルゲンフィルムの解散と権利上の問題で封印されている。作品そのものの版権と原盤の所在が不明確で、そのためソフト化はもちろん上映も困難となっている[22]

なお、三島が存命中の1957年(昭和32年)にも、渋谷実監督により松竹で映画化の企画があったが、実現には至らなかった[23]

製作

元は実在する鹿鳴館を題材にしたドラマ企画が市川監督に持ち込まれ、市川が以前に三島の戯曲を映画化したいと周囲に漏らしていた事もあり、戯曲の映画化が決定した。その後、スポンサーにマルゲンフィルムの川本源司郎が名乗りを上げ、製作が始まった。

調布基地跡(関東村跡地)に、鹿鳴館のファサードを原寸大で再現した制作費1億円のオープンセットが組まれ、和装と舞踏会の場面で使用する夜会服は三松の斎藤寛社長の全面協力で制作された。衣装監修の斎藤寛はフランスのパリ装飾芸術美術館衣装博物館(Musée des Arts décoratifs)を見学後、現地駐在員の助けを借りて19世紀当時のドレス7点を購入している。影山伯爵邸の庭園は京都嵐山の中山邸(現・宝厳院)にて撮影。

市川は三島の戯曲の忠実な映像化に拘り、芝居の演出も舞台演劇そのままの様式を採用したが、後年、「やっぱり観る人にどこかで違和感を与えているんですね。演劇ではOKだからと、あえて映画でそれをやったのが間違いだった。もう少し慎重な計算が必要だった」と失敗の弁を述べている[24]。同年度キネマ旬報ベストテン14位。微妙に高評価とまでは至らなかった。

受賞

  • 日本アカデミー賞最優秀美術賞(村木忍)
  • 映画技術賞美術部門(村木忍)
  • 年間代表シナリオ選出

キャスト

スタッフ


注釈

  1. ^ ヴィクトル・ユーゴーの『ルクレツィア・ボルジア』は、先夫との間にもうけた子と、現在の夫の間で苦悩するルクレツィアの物語である。ルクレツィアが最後に、自分を実の母とは知らないその子に殺されてしまう戯曲である。「ああ、おまえは私を殺す……私はおまえの母ですよ」という台詞で幕が閉じられる[9]
  2. ^ a b 幹事であった朝日放送は、放送当時はTBSJNN)系列であった。  

出典

  1. ^ a b c d 「舞台の多彩な魅力――『鹿鳴館』の成功」(松本 2010, pp. 86–89)
  2. ^ a b c 有元伸子「緊密に構成された絢爛たる大芝居」(太陽 2010, pp. 68–69)
  3. ^ a b c d 「『鹿鳴館』について」(毎日新聞〈大阪〉 1956年12月4日号)。三島 1984, pp. 354–355、29巻 2003, pp. 334–335
  4. ^ 井上隆史「作品目録」(42巻 2005, pp. 377–462)
  5. ^ 山中剛史「上演作品目録」(42巻 2005, pp. 731–858)
  6. ^ 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540–561)
  7. ^ 久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目」(事典 2000, pp. 695–729)
  8. ^ a b 「美しき鹿鳴館時代――再演『鹿鳴館』について」(新派プログラム 1962年11月)。三島 1984, pp. 357–359、32巻 2003, pp. 137–138
  9. ^ a b 「III 死の栄光――『鏡子の家』から『英霊の聲』へ 二つの事件――脅迫と告訴」(村松 1990, p. 316)
  10. ^ 今村忠純「『鹿鳴館』についてのメモ」(国文学解釈と鑑賞 1992年9月号)。太陽 2010, p. 68
  11. ^ 今村忠純「鹿鳴館【研究】」(事典 2000, pp. 414–416)
  12. ^ 「戯曲を書きたがる小説書きのノート」(日本演劇 1949年10月号)。27巻 2003, pp. 222–229
  13. ^ 「第一部 評伝 三島由紀夫――第三章 問題性の高い作家 『鹿鳴館』」(佐藤 2006, pp. 91–92)
  14. ^ 「『鹿鳴館』について」(文学座プログラム 1956年11月)。三島 1984, pp. 352–353、29巻 2003, pp. 326–327
  15. ^ 冉小嬌 2012
  16. ^ 「年譜 昭和31年11月27日」(42巻 2005, pp. 203–204)
  17. ^ 舞台劇 鹿鳴館”. テレビドラマデータベース. 2023年9月28日閲覧。
  18. ^ 鹿鳴館 前後編”. テレビドラマデータベース. 2023年9月28日閲覧。
  19. ^ NHKクロニクル | NHKアーカイブス”. NHKオンライン. 2023年9月28日閲覧。
  20. ^ 鹿鳴館”. テレビドラマデータベース. 2023年9月28日閲覧。
  21. ^ 鹿鳴館 Rokumeikan(新聞ラテ欄表記…鹿鳴館~華麗に踊る貴婦人達の大舞踏会!社交界の陰に咲く夫婦愛、親子愛…涙と感動の結末へ!!三島由紀夫の名作を完全映像化)”. テレビドラマデータベース. 2023年9月28日閲覧。
  22. ^ 樋口尚文「80年代「異業種映画」の栄光と挫折」『1980年代の映画には僕たちの青春がある』キネマ旬報社、2016年、188ページ
  23. ^ 山中剛史「三島映画略説――雑誌、新聞記事から」(研究2 2006, pp. 39–43)
  24. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P342~343





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