輪島大士 主な成績

輪島大士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 18:54 UTC 版)

輪島 大士(わじま ひろし、1948年(昭和23年)1月11日 - 2018年(平成30年)10月8日[3])は、石川県七尾市出身で花籠部屋に所属した大相撲力士、第54代横綱全日本プロレス所属の元プロレスラー、元タレント


注釈

  1. ^ そのため、付き人はいるものの、普段の世話を行うことはなく、輪島自身も誰が付き人かを知らなかったという話がある。また、稽古場では、まわしを締めるのを隣接する大学の土俵で行ったほか、地方場所では宿舎ではなくホテルに宿泊していたという。
  2. ^ 後年『大相撲ジャーナル』2014年4月号118頁に寄せられた遠藤の四股名命名を巡る投書には「石川県出身力士は本名のままが好きならしく、輪島、出島は横綱、大関に昇進しても改名しなかった」と輪島の例も出されていた。
  3. ^ 関取昇進前に貴ノ花に食事を奢らせるといった通常極めて無礼と言える態度を取った輪島を貴ノ花は許した。学生時代の輪島と稽古場で対戦して敗れた経験から実力や将来性を評価したためであった。
  4. ^ なお北の湖は、「輪島は左だけでなく右からの攻めも非常に強く、それで左下手投げが決まっていた」と語っている(平成初期のビデオシリーズ「大相撲大全集 昭和の名力士 輪島・北の湖」より)。
  5. ^ 相撲はすり足が基本で「足の裏を地面から離す「走る」行為は基本に反する」という考えからか、ランニングはあまり好まれなかった。他方で琴風は左膝の大怪我に見舞われてから暫くランニングを取り入れたことがあり、記者にその意図を問われた際に自ら「ランニングはリハビリ」と答えたことがある。
  6. ^ 鍋に熱燗2本注いだ北の湖さん ぼそりと「下積みが…」 朝日新聞DIGITAL 2020年9月26日 11時00分 (文・抜井規泰、2021年4月2日閲覧)
    これは歴史上輪島に限ったことではなく、令和期には関取衆の中にも稽古を「練習」と呼ぶような角界の伝統に馴染まない者がいる。
  7. ^ 『相撲』2013年11月号、90頁。せり上がりの際の、「重たい岩をも支える腕の形」という羽黒山の頃まで保たれてきた本質が失われているとして、白鵬日馬富士の土俵入りが批判されている。
  8. ^ 後に貴闘力戦でタイ記録を樹立。
  9. ^ なお、輪島の足の裏は土踏まずが大きく切れ上がった形状をしているため、元来寄られると弱かった。稽古不足の時期にはスタミナが続かないことによりそれが顕著になった。
  10. ^ そのためか千代の富士には一番勝ちたい力士は輪島と名前を挙げられていた。
  11. ^ 1989年3月場所で優勝した千代の富士は14日目の大乃国戦で左肩を脱臼して翌日の千秋楽を休場しているが、不戦敗の扱い。
  12. ^ 2位は、白鵬-日馬富士の10回(平成24年5月場所〜平成25年11月場所)。この間の両者は白鵬4勝-6勝日馬富士。また相星決戦は2回(全勝同士=H24.7、1敗同士=H25.11)。優勝圏内での対戦1回(H24.9)。また、両者横綱同士に限ればこの両者の対戦は7回連続となり、朝青龍-白鵬と並ぶ。なお、輪島-北の湖による千秋楽結び対戦回数は22回あり、-貴乃花の27回に次いで、史上2位。
  13. ^ この止め鋏の際、二子山に付き添い、先代花籠の子息が先代の遺影を持って土俵に上がっている。
  14. ^ 現在(2019年5月時点)の相撲協会の規定でいうところの“退職”に相当
  15. ^ 「輪島は練習しない」というイメージが広がったきっかけは、1987年11月7日に行われた輪島対天龍源一郎の試合においてテレビ解説を務めていた馬場が、「輪島は最初はよかったが、だんだん稽古しなくなりましたね」とコメントしたことも大きい。しかし、件の試合では天龍に徹底的に攻められて戦闘不能に陥るほど、当時輪島の膝の怪我が悪化していた。
  16. ^ 池田雅雄は「相撲」の『質疑応答』で、輪島が事実上、破門されるような形で相撲協会を去った経緯からして、還暦土俵入りが行われることはないであろうという私見を述べていた。ただし、親方となった後に協会を退職した横綱経験者でも、太刀山1937年2月6日)・北の富士2002年2月23日)のように、還暦土俵入りを行った例は存在する。また土俵入りしなくても還暦記念に赤い綱を作製し受取る場合も有るが、輪島は公表されず不明である。
  17. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年11月号(九州場所展望号)37頁によると、高田川が下の名前の読みについて勘違いしていた上に確認を取っても輪島本人がその勘違いに気付かなかったという。
  18. ^ 北の湖も輪島に誘われる形で参加したことがある。
  19. ^ 北の湖は松本ちえこから女性体験を再三聞かれてしどろもどろだったと伝わっている。
  20. ^ 右手人差指中指間裂傷により14日目から途中休場
  21. ^ 北の湖と優勝決定戦
  22. ^ 腰椎及び左膝関節及び左足首関節捻挫・左坐骨神経痛により4日目から途中休場
  23. ^ 腰椎及び左膝関節及び左足首関節捻挫・左坐骨神経痛により3日目から途中休場
  24. ^ 旭國と優勝決定戦
  25. ^ 北の湖と優勝決定戦
  26. ^ 膝関節捻挫・右膝内側側副靱帯損傷により2日目から途中休場
  27. ^ 急性大腸炎により4日目から途中休場
  28. ^ 三重ノ海と優勝決定戦
  29. ^ 腰痛・左手首関節捻挫後遺症により3日目から途中休場
  30. ^ 頸椎捻挫により5日目から途中休場

出典

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    元横綱輪島大士さんが死去 70歳、「黄金の左」 - 日刊スポーツ
    大相撲の元横綱・輪島こと輪島大士氏が死去 70歳 輪湖時代を築く - スポニチアネックス
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  83. ^ 輪島大士 - オリコンTV出演情報


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