論田町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/17 09:07 UTC 版)
論田町 | |
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徳島マツダ | |
国 | 日本 |
都道府県 | 徳島県 |
市町村 | 徳島市 |
地区 | 勝占地区 |
人口 | |
• 合計 | 2,152人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
770-8011 |
地理
徳島市の南東部に位置し、勝占地区に属する。西から北を勝浦川が流れ、西は大松町・雑賀町、北は西新浜町2丁目・新浜本町・津田本町5丁目・津田町4丁目・津田海岸町と対する。
徳島県道120号徳島小松島線(旧国道55号)が勝浦浜橋を経て南下する。徳島県警察学校・徳島市立論田小学校・徳島市立体操センターなどがある。トヨタカローラ徳島・徳島ダイハツモータース・徳島マツダ・徳島三菱自動車販売など自動車販売会社が多い。
河川
小字
- 大江
- 小論田
- 新開
- 中開
- 本浦上
- 本浦下
- 本浦中
- 元開
- 和太開
- 和太開外
-
大江
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本浦下
-
本浦中
-
元開
歴史
論田浦
江戸時代から明治22年にかけて勝浦郡に存在した村。徳島藩領。「勝浦郡志」によれば、当村は大原浦の枝浦で、元和年間頃に開発が始まり、寛永年間に富田浦からの移住が始まった。
村高は、文化10年の阿波国村々御高都帳では993石余とある。なお「天保郷帳」の大原浦1,655石余には、当浦の高が含まれているかと思われる。「旧高旧領」では1,029石余ですべて蔵入地となっている。また寛保神社帳によれば、神社に水神があり、その別当は禅心と見える。
明治4年に徳島県となり、また同年に名東県、明治9年に高知県を経て、明治13年に再び徳島県に所属。明治22年に勝占村の大字となる。
勝占村論田
明治22年から昭和27年まで存在した勝占村の大字で昭和26年からは徳島市の大字となる。
明治24年の「徴発物件一覧表」には「論田浦」と見え、戸数132・人口665(男343・女322)、厩10、学校1、船72。同年に論田浦村駐在所が設置され、大正6年に論田巡査駐在所となる。
徳島市論田町
昭和27年から現在の徳島市の町名。もとは徳島市鶴岡と同市論田の一部。
交通
バス
- 論田中
- 論田
道路
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