蒙古聯合自治政府 首脳人事

蒙古聯合自治政府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 03:49 UTC 版)

首脳人事

デムチュクドンロブ(左)、李守信(中)と日本軍人

在職期間について特記なき場合『世界諸国の制度・組織・人事 : 1840-2000』による[8]

主席

氏名 在任期間
1 徳王 1939年9月1日 - (終戦)

最高顧問

氏名 在任期間 主な前職 主な後職
1 金井章次 1939年9月1日 - 1941年11月27日 満州青年連盟理事長代理、
浜江省総務庁長、
間島省長、
蒙疆聯合委員会最高顧問
2 大橋忠一 1941年11月27日 - 1942年9月3日 満州国参議府参議
日本国外務次官
日本国衆議院議員、
カンボジア大使
3 神吉正一 1945年2月26日 - (終戦) 満州国国務院総務庁次長、
蒙古聯合自治政府総務庁長
弁護士

副主席

  • 夏恭:1939年9月1日 - 1940年1月10日
  • 于品卿:1939年9月1日 - 1945年12月27日(刑死)
  • 李守信:1941年6月1日 - (終戦)

政務院長

  • 卓特巴扎普:1939年9月1日 - 1941年6月1日
  • 呉鶴齢:1941年6月1日 - 1945年2月26日
  • (兼)徳王:1945年2月26日 - (終戦)

経済

独自の中央銀行として蒙疆銀行を有し、何年も経たない独自の通貨を印刷した。伝統的な地元の貨幣店の中には、嘉辰年(甲辰年)など、中国の年の番号付けシステムを使用した通貨も製造しているところもあった。

日本は、彼らが作った蒙江の鉱物資源に興味を持っていた。一例として、日本軍は宣化龍岩の鉄鉱山を生産し、1941年には埋蔵量9,164万5,000トンを生産。そして、陸上の石炭埋蔵量を分析したところ、1つは504トン、もう1つは潜在生産量が202,000トンであった(1934年)。

蒙江鉄鉱床は日本に直接輸出されていた。同時に、日本軍は綏源(もう一つの蒙江占領地区)の石炭埋蔵量を求め、その中には4億1,700万トンの石炭埋蔵量のうちの1つと、1940年に5万8,000トンが採掘される可能性のある石炭が含まれていた。

軍事

内蒙軍は、1929年に組織された900人の徳王の親衛隊を発端とする。しかし、これらの武装は貧弱で、張学良から与えられた銃や山砲しか装備していなかった。その後日本軍の支援を受けて軍事組織としての体裁を整えていく。

綏遠事件の際には内蒙軍は10,000人が9個師団(うち8個が騎兵師団)として拡充編制されており、李守信に指揮された満州国興安軍熱河省から越境すると察哈爾省綏遠省の匪賊や脱走兵が参加した。これらは王英の指揮の下4個旅団に編制され、大漢義勇軍と称した。

綏遠事件の敗北の後、内蒙軍は総兵力が20,000人ほどの8個の小規模な師団に再編制され、日中戦争の開戦初頭には綏遠省の攻撃(チャハル作戦)に参加した。その後、これらの兵力は太原作戦にも参加した。

1939年には軍内部の漢人をまとめた3個旅団からなる「蒙古鎮圧部隊」が作られ、匪賊掃討などの後方任務に当てられた。1943年、旧第4・第5蒙古師団が新第8蒙古師団に、旧第7・第8蒙古師団が新第9蒙古師団に再編制された。軍の総兵力は4,000から10,000人程度であり、全て騎兵であった。これを支援する小規模の重装備部隊が日本人によって運用されていた。つまり、この頃の内蒙古政府は合計5個師団を保有していたが、ほぼ民兵や治安維持部隊であり、3個連隊編制は名目上のものであった。各師団の1個連隊のみが任務に従事できる状態であったと考えられている。

1944年には日本軍はこれを察哈爾守備隊として4個師団8,000人体制に再編制した。終戦時には、内蒙古政府は2個歩兵師団と4個騎兵師団、3個中国人独立旅団と1個警備連隊を保有していた。

駐蒙軍


  1. ^ 坂本勉『日中戦争とイスラーム 満蒙・アジア地域における統治・懐柔政策』慶應義塾大学出版会
  2. ^ 多田文男「蒙彊の地理: 外洋流域より内陸流域への遷移」『地学雑誌』第5巻第5号、1939年、232頁、doi:10.5026/jgeography.51.231 
  3. ^ 倪 2009, p. 90.
  4. ^ a b 倪 2009, pp. 90–91.
  5. ^ 近衛首相演述集 近衛文麿、厚地盛茂 1939年
  6. ^ 朝日東亞年報 昭和十三→十六年版 朝日新聞社中央調査会 1941年
  7. ^ a b ハスチムガ「モンゴル自治邦における日本の衛生・医療活動 : 伝統社会から近代社会への移行 (交感するアジアと 日本)」『アジア研究』別冊3、静岡大学人文社会科学部アジア研究センター、2015年2月、60-61頁、doi:10.14945/00008106 
  8. ^ 秦 2001, 81頁.





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