サッカー蒙古聯合自治政府代表とは? わかりやすく解説

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サッカー蒙古聯合自治政府代表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/12 07:58 UTC 版)

サッカー蒙古聯合自治政府代表
国または地域 蒙古聯合自治政府
協会 蒙古聯合自治政府蹴球協会
愛称 -
監督 -
最多出場選手 ?(?試合)
最多得点選手 ?(?得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合 1942年8月8日満洲国
不詳
最大差敗戦試合 1942年8月10日日本
0-12
FIFAワールドカップ
出場回数 0回

サッカー蒙古聯合自治政府代表(サッカーもうこれんごうじちせいふだいひょう)は、1939年から1945年にかけて存在した、蒙古聯合自治政府サッカーナショナルチームである。

歴史

1939年9月1日内蒙古に蒙古聯合自治政府が樹立されると、程なく蒙古聯合自治政府蹴球協会も設立された。

しかし、1940年の『紀元二千六百年奉祝東亜競技大会』へは間に合わず、1942年の『満州国建国十周年慶祝東亜競技大会』にのみ参加した。この大会で満洲国大日本帝国中華民国汪兆銘政権)の代表チームとも対戦したが、日本に0-12で大敗するなど散々な内容だった。

ただし、この大会の詳細は日本代表の公式資料以外に残っておらず、日本代表以外の戦績は不明である。また、戦前の日本代表としては最大差勝利試合でもあった(蒙古聯合自治政府側は、記録がないため最大差敗戦試合かどうか不明)。

蒙古聯合自治政府は国際的に認められていなかったので、国際サッカー連盟(FIFA)には最後まで加盟することはできなかった。1945年8月19日の蒙古聯合自治政府崩壊により、チームも自然消滅した。

公式戦

蒙疆チーム スコア 対戦相手 場地 日期 賽事
蒙疆 不詳 満洲国 満洲国 新京 1942年8月8日 満洲国建国十周年慶祝東亜競技大会
蒙疆 不詳 中華民国 満洲国 新京 1942年8月9日 満洲国建国十周年慶祝東亜競技大会
蒙疆 0 – 12  日本 満洲国 新京 1942年8月10日 満洲国建国十周年慶祝東亜競技大会

ワールドカップ

FIFAワールドカップの中断期(1938年1950年)にチームが存在していたため、アジア予選すら開催されなかった。また、国際サッカー連盟(FIFA)にも加盟する事は出来なかった。

脚注

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関連項目

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