治承・寿永の乱
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史料
参考文献
- 上横手雅敬; 元木泰雄; 勝山清次『院政と平氏、鎌倉政権』中央公論新社〈日本の中世8〉、2002年。
- 上杉和彦『源平の争乱』吉川弘文館〈戦争の日本史6〉、2007年。
- 川合康『源平の内乱と公武政権』吉川弘文館〈日本の中世の歴史3〉、2009年。
- 元木泰雄『治承・寿永の内乱と平氏』吉川弘文館〈敗者の日本史5〉、2013年。
関連項目
- 寿永二年十月宣旨
- 養和の飢饉(1181年に発生。京都が大混乱に陥った。)
- 赤間神宮
- 平家の落人
- 全国平家会
- 須磨寺
- 治承・寿永の乱を題材とした作品
- 湊川の戦い
- 関ヶ原の戦い
- 大坂の陣
- 戊辰戦争
- 西南戦争
- 紅白
- ヘイケガニ - 甲羅の模様があたかも恨みを呑んで沈んだ平家武者を彷彿させるところから。
外部リンク
注釈
- ^ 注進者に関しては異説もある。
- ^ 反乱軍の主力は駿河を制圧した甲斐源氏であり、頼朝は黄瀬川に駐留して形勢を観望していたという説が有力になりつつある[3]。
- ^ 『吾妻鏡』には義仲を討つためと記載されているが、『玉葉』記載の追討宣旨には追討対象者が源頼朝、源信義となっており、源義仲は追討対象者にはなっていない。この時点では義仲はまだ無名の存在であり、この出兵は北陸各地で発生した各反乱勢力の追討とみなすべきとの学説が有力になっている[6]。
- ^ 後世の編纂史料『吾妻鏡』『百錬抄』では征夷大将軍だが、同時代史料の『玉葉』『山槐記』(『三槐荒涼抜書要』所収)では征東大将軍と記されている[7]。
- ^ 三日平氏の乱の背景として、頼朝による武家支配一元政策に対する反発があったとする説もある[3]。
- ^ 『吾妻鏡』元暦2年(1185年)正月6日条には、範頼に宛てた同日付の頼朝書状が記載されている。その内容は性急な攻撃を控え、天皇・神器の安全な確保を最優先にするよう念を押したものだった。一方、義経が出陣したのは頼朝書状が作成された4日後であり(『吉記』『百錬抄』同日条)、屋島攻撃による早期決着も頼朝書状に記された長期戦構想と明らかに矛盾する。吉田経房が「郎従(土肥実平・梶原景時)が追討に向かっても成果が挙がらず、範頼を投入しても情勢が変わっていない」と追討の長期化に懸念を抱き「義経を派遣して雌雄を決するべきだ」と主張していることから考えると、屋島攻撃は義経の「自専」であり、平氏の反撃を恐れた院周辺が後押しした可能性が高い。『平家物語』でも義経は自らを「一院の御使」と名乗り、伊勢義盛も「院宣をうけ給はって」と述べている。これらのことから、頼朝の命令で義経が出陣したとするのは、平氏滅亡後に生み出された虚構であるとする見解もある[8]。
- ^ 三種の神器のうち剣以外は無事に確保された。
- ^ 頼朝が占領して武士に給付した土地の中には旧勢力側の荘園なども含まれており、その後頼朝と朝廷との間で問題となった。だが、「寿永二年十月宣旨」や翌年3月7日の後白河法皇の院宣によって頼朝勢力圏と認めた地域については武士たちを在地領主として認めることで旧勢力側が歩み寄ることになった。
出典
- ^ “「驕れる者久しからず(おごれるものひさしからず)」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書”. www.weblio.jp. 2023年7月14日閲覧。
- ^ 川合康 著「生田森・一の谷合戦と地域社会」、歴史資料ネットワーク 編『地域社会からみた「源平合戦」―福原京と生田森・一の谷合戦―』岩田書院、2007年。
- ^ a b c d 川合 2009.
- ^ a b 上横手, 元木 & 勝山 2002.
- ^ a b 元木 2013.
- ^ a b c 上杉 2007.
- ^ 櫻井陽子「頼朝の征夷大将軍任官をめぐって-『三槐荒涼抜書要』の翻刻と紹介-」『明月記研究』9号、2004年。
- ^ 宮田敬三「元暦西海合戦試論-「範頼苦戦と義経出陣」論の再検討-」『立命館文学』554号、1998年。
- ^ 三田武繁『鎌倉幕府体制成立史の研究』吉川弘文館、2007年、序章「一一八〇年代の内乱と鎌倉幕府体制の形成」
- ^ 川合康『源平合戦の虚像を剥ぐ―治承・寿永の内乱史研究―』〈講談社学術文庫〉2010年、75頁。
- ^ 近藤好和『弓矢と刀剣―中世合戦の実像―』〈平凡社新書〉1997年、138頁。
- ^ “源平特集:合戦と武具”. 神戸市文書館. 2021年3月12日閲覧。
- ^ 川合康「鎌倉幕府の草創神話」『季刊東北学』27号、2011年。/所収:川合康『院政期武士社会と鎌倉幕府』吉川弘文館、2019年、255-264頁。
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