新興キネマ
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映画館
同社が経営した映画館の一覧である(所在地は当時のもの)[5]。合併によりいずれも大映の直営館になった[5]。
- 浅草電気館 - 東京府東京市浅草区浅草公園六区4番地[1]
- 麻布新興館 - 東京府東京市麻布区三河台町13番地[1]
- 築地映画劇場 - 東京府東京市京橋区築地3丁目8番地
- 沼袋映画劇場 - 東京府東京市中野区沼袋町241番地
- 早稲田映画劇場 - 東京府東京市淀橋区(1945年4月空襲で焼失[15])
- 保土ヶ谷映画劇場 - 神奈川県横浜市保土ケ谷区天王町165番地
- 千葉新興映画劇場 - 千葉県千葉市本千葉町73番地(のちの千葉セントラル劇場)
- 水戸新興劇場 - 茨城県水戸市裡信願寺町(1945年4月空襲で焼失[16])
- 仙臺世界館 - 宮城県仙台市国分町138番地
- 新潟新興映画劇場 - 新潟県新潟市十二番街2866番地(現在の映劇大要)
- 濱松新興館 - 静岡県浜松市鍛冶町120番地
提携プロダクション
同社が配給提携したプロダクションの一覧である。
- 嵐寛寿郎プロダクション(嵐寛寿郎、1931年より提携)
- 阪東妻三郎プロダクション(阪東妻三郎、1931年より提携)
- 大衆文芸映画社(高村正次、1931年 - 1932年提携)
- 不二映画社(上森健一郎、1931年 - 1932年提携)
- 入江ぷろだくしょん(入江たか子、1932年 - 1935年提携)
- 高田稔プロダクション(高田稔、1934年 - 1936年提携)
- 片岡千恵蔵プロダクション(片岡千恵蔵、1935年 - 1936年提携)
新興演芸
1939年(昭和14年)3月29日には演芸部が発足、吉本興業からミスワカナ・玉松一郎、香島ラッキー・御園セブン、益田喜頓、坊屋三郎らを引き抜き一時は大騒動に発展する。背景には吉本の所属芸人があまりにも多くなり、少々の活躍ではギャラアップや劇場での出演順のランク上昇などが認められなくなっていたことが挙げられる。また新興では当初から芸人が異なるエリアの劇場をローテーションする興行体制を予定したことや、映画製作による収益等も見込んでギャラ等を計算したため、芸人にとっては大幅な待遇改善・ギャラの上昇につながった。
坊屋三郎は後に当時のことを「吉本では10日毎に新ネタを要求されていたのが新興では(大阪・京都・神戸の劇場を10日毎にローテーションするため)新ネタは1ヶ月毎でよくなりきちんとした作家も付く。独立したショーが用意され一流のバンドやダンサーもつく。おまけに月給も90円から300円に上がるとなると、これでOKしないのはバカだよ」と語っている[17]。これに対し吉本側も芸人たちの新興側の劇場への出演を禁じる仮処分申請を行ったり、暴力団を使って実力で興行を阻止しようとしたりといった方法で対抗したが、既に日中戦争が始まっているという時節柄もあってか京都府警・大阪府警が調停に乗り出す。結局同年5月22日に両社の間で和解が成立し、正式に芸人の移籍が認められた。さらに1941年(昭和16年)には、漫才作者として有名な秋田實が吉本興業から同社に移籍し文芸部長に就任している。
- ^ a b c d e f g h 新興キネマ株式会社 労働争議 1, 2, 3, 4、法政大学大原社会問題研究所、2014年4月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j わが町八丁堀 歴年表、中央区八丁堀二丁目東町会、2010年1月23日閲覧。
- ^ a b c 新興キネマ本社跡、中央区八丁堀二丁目東町会、2010年1月23日閲覧。
- ^ a b c 筈見[1942], p.179.
- ^ a b c d 年鑑[1942], p.10-24,27,28,34,40,43,47,49,53.
- ^ 大西[1993], p.76.
- ^ a b 1931年 公開作品一覧 591作品、日本映画データベース、2014年4月16日閲覧。
- ^ 風雲長門城、日本映画データベース、2014年4月16日閲覧。
- ^ 何が彼女を殺したか、日本映画データベース、2014年4月16日閲覧。
- ^ 1935年 公開作品一覧 477作品、日本映画データベース、2014年4月16日閲覧。
- ^ 唐人お吉、日本映画データベース、2014年4月16日閲覧。
- ^ 田中[1976], p.318.
- ^ 松竹[1964], p.364.
- ^ 新興が吉本から人気者引き抜き『大阪毎日新聞』(昭和14年3月31日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p741 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 年鑑[1961], p.671.
- ^ 芳賀[1996], p.401.
- ^ 澤田[2002], p.69.
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