引き揚げ
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『シベリア抑留資料等引き揚げの記録』と世界記憶遺産
2015年10月10日未明に文部科学省が発表したところによると、歴史的に貴重な文書や絵画などを対象としたユネスコ(国連教育科学文化機構)の「世界の記憶」に、「舞鶴への生還1945-1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」が登録された[44]。
シベリアに抑留された後、舞鶴港に引き揚げた抑留者らの570点にものぼる記録であり、抑留生活の様子を約200首の和歌にしたため白樺の樹皮につづった「白樺日誌」や、靴の中に隠して持ち帰ったメモ帳などが含まれ、すべて京都府舞鶴市にある舞鶴引揚記念館(1988年開館)に所蔵されている[44]。その中には、大阪府門真市の坂井仁一郎(故人)が、ラジオのモスクワ放送で流されていた抑留者の情報を聞き取り、日本で待つ家族に伝えた葉書やそれへの礼状なども含まれる[45]。
舞鶴港は戦後、引き揚げ者の約1割の約66万人が上陸した港であり、舞鶴市は1961年、シベリア抑留者が引き揚げ船に乗船したソ連(当時)のナホトカ市と姉妹都市協定を結び(これは日ソ間での最初の姉妹都市協定である)、各種訪問団の相互派遣などで交流を深めてきた[46]。記憶遺産への申請は舞鶴市であり、この申請にあたっても市職員がナホトカ市を訪問して説明をするなどした[46]。同市では一時は共同申請をする案も出るほどの理解があったという[46]。登録の3年前は、同記念館に膨大な資料が未整理のまま眠っていた[45]。登録へ導いた立役者の一人である同記念館学芸員の長嶺睦は、「630万人が引き揚げた壮大な出来事が日本の歴史から消えようとしている。きちんと公開し、調査研究に結びつけたい」と当時の感想を語った[45]。また同記念館への資料寄贈者である木内信夫、安田清一は日本初の生存作家となった。
注釈
出典
- ^ #引揚援護の記録
- ^ a b c d e f g h i j k l 河原(2011年)12ページ
- ^ 「 戦後引き揚げ 大国の思惑/国文学研究資料館・加藤准教授 全体像描く研究書」『読売新聞』朝刊2021年7月7日(文化面)。加藤聖文『海外引揚の研究 忘却された「大日本帝国」』(岩波書店)の紹介記事。
- ^ a b c d e f g h i j k l m #引揚援護の記録 p.1
- ^ 久しぶりの母国に感激の顔『大阪毎日新聞』昭和16年11月15日夕刊(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p456 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 第二船大洋丸にはハワイの四百四十七人『大阪毎日新聞』昭和16年11月16日夕刊(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p456)
- ^ 第三船氷川丸が横浜入港『朝日新聞』昭和16年11月19日夕刊(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p456)
- ^ 蘭印から高千穂丸、門司へ帰る『朝日新聞』昭和16年11月23日夕刊(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p456)
- ^ ボルネオ、マレーには浅間丸が『朝日新聞』昭和16年12月6日(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p457)
- ^ 在米残留邦人、龍田丸で最後の引き揚げ『朝日新聞』昭和16年11月30日夕刊(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p457)
- ^ “終戦の詔書”. 国立公文書館. 2024年3月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g 河原(2011年)3ページ
- ^ a b c d e “ポツダム宣言”. 国立国会図書館. 2024年3月20日閲覧。
- ^ 井出孫六 2008, p. 82
- ^ 井出孫六 2008, p. 83
- ^ a b 井出孫六 2008, p. 86
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- ^ a b #引揚援護の記録 p.11-13
- ^ a b c d e f g h i #引揚げと援護三十年の歩み pp.149-167
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- ^ #引揚援護の記録 続々 pp.311-344
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- ^ a b c d e f g h i 厚生省援護局(1978年)147ページ
- ^ a b 朝日新聞夕刊 2015b, 1面「シベリア引き揚げ資料・東寺百合文書」
- ^ a b c 朝日新聞朝刊 2015d, 34面「守った遺産 世界へ未来へ」
- ^ a b c 朝日新聞夕刊 2015c, 9面「抑留、風化させぬ」
- 1 引き揚げとは
- 2 引き揚げの概要
- 3 引き揚げ事業の実施
- 4 帰還と帰郷
- 5 残置私有財産返還要求運動と援護行政
- 6 『シベリア抑留資料等引き揚げの記録』と世界記憶遺産
- 7 脚注
- 8 外部リンク
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