宇賀地強 宇賀地強の概要

宇賀地強

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 03:38 UTC 版)

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宇賀地 強
うがち つよし
選手情報
ラテン文字 Tsuyoshi UGACHI
愛称 うがっちゃん
種目 長距離走
所属 コニカミノルタ
生年月日 (1987-04-27) 1987年4月27日(33歳)
生誕地 栃木県宇都宮市
身長 164cm
体重 49kg
自己ベスト 5000m : 13分29秒50(2012年)
10000m : 27分40秒69(2011年)
ハーフマラソン : 1時間00分58秒(2011年)
マラソン : 2時間10分50秒(2014年)
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経歴

中学時代から陸上を始めた[4]。3年時のジュニア・オリンピックでは男子3000mでは同組の高橋優太らに勝利し優勝した。作新学院高校2年時には全国高校駅伝に出場して1区を走り、仙台育英高校佐藤秀和らに次ぐ日本人3位(区間5位)の成績を残した。また、高校3年の全国都道府県対抗男子駅伝の1区で区間賞を獲得。第33回世界クロスカントリー選手権サンガルミエル大会日本代表にも選ばれた。2006年3月の第34回世界クロスカントリー選手権福岡大会には、大学のチームメイトとなる深津卓也高林祐介と共に出場した。

駒澤大学進学後は10000m28分台を記録するなど順調に力をつけた。出雲駅伝全日本大学駅伝と大学駅伝出場を重ね、第83回箱根駅伝では1年生ながら2区を走ったが区間13位に終わっている。2年に進級した2007年の日本インカレでは10000m日本人2位の成績を残し、松岡佑起と共に2007年ユニバーシアードの10000m日本代表に選ばれた。第19回出雲駅伝では3区を走り区間2位、第39回全日本大学駅伝では2年連続で2区を走り区間5位となった。この全日本大学駅伝で竹澤健介や松岡と戦った経験を以後の成長のきっかけとした[2]第84回箱根駅伝では2年連続で2区を走り区間5位の成績で総合優勝に貢献した。2008年5月の第87回関東インカレでは10000m6位、ハーフマラソンではメクボ・ジョブ・モグスに次ぐ2位の成績を残している。11月の第40回全日本大学駅伝は3年連続で2区を走り区間4位。第85回箱根駅伝では3年連続の2区を任されて11人を抜いたが、駒澤大学は総合13位に終わり第86回大会のシード権を得ることができなかった。

最上級生となった2009年は駅伝主将を務めて各大会にて奮闘、また宇賀地は大学4年間の三大駅伝全てに出場した。7月にはユニバーシアードに出場し10000m6位、5000m13位の成績を残した。9月の第78回日本インカレでは4位入賞を果たした。10月の第21回出雲駅伝で2年ぶりの3区を走り6人抜き、22分48秒の記録で自身初となる大学駅伝の区間賞を獲得した。第86回箱根駅伝予選会(20 km)では個人9位となり駒澤大学の予選会1位通過に貢献。続く2週間後の第41回全日本大学駅伝では2区を走り村澤明伸ら計8人を抜いて37分50秒の記録で区間賞を獲得した。また最後の挑戦となる第86回箱根駅伝では、4年連続花の2区を走り18位から13位に上げる5人抜き、区間3位の成績を残した。宇賀地と深津や高林らの活躍により駒澤大学は総合2位・復路優勝となった。

2010年4月コニカミノルタに入社。日本選手権を経たのち、10月の世界ハーフマラソン選手権で自己記録を縮めて12位となり、11月の第51回東日本実業団対抗駅伝競走大会、第22回国際千葉駅伝では区間賞を獲得するなど各大会で飛躍を見せた。2011年1月、第16回天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会ではアンカーとして長野以下の追撃を抑えて、栃木県の大会初優勝となるゴールテープを切った[5]。2月、第65回香川丸亀国際ハーフマラソンに出場した。序盤はモグスに離されるものの第2集団でしぶとくこれを追いかけた。終盤サムエル・ドゥングに置かれたが3秒差の2位に入り、男子ハーフマラソン日本歴代3位の記録となる1時間00分58秒を記録した[6]

2011年5月、パロアルトで行われたカーディナル招待10000mに出場しロンドンオリンピックの参加標準記録Aを突破する27分41秒97を記録した。6月の第95回日本陸上競技選手権大会10000mでは前半から積極的に先頭を走り、終盤にかわされたものの3位に入った。7月の第19回アジア陸上競技選手権大会10000mでは駆け引きを展開して4位に入った。11月には八王子ロングディスタンスで10000mを27分40秒69で走り、自己記録を更新した。

2013年8月、モスクワで行われた世界陸上に出場し、10000mで15位に入った。

2014年よりフルマラソンへの挑戦を始めた。

2019年4月に第一線を退き、コニカミノルタのプレーイングコーチに就任する事が発表された。2020年1月のニューイヤー駅伝ではプレイングコーチという立場ながらアンカー7区を担当。入賞を巡る大混戦の中8位でゴールし、チームの9年連続入賞を死守。このレースをもって選手活動に区切りを付けた。同月のヒューストンハーフマラソンでは、新谷仁美のペースメーカーとして参加し、新谷の日本新記録達成をアシストした[7]

自己記録

種目 記録 大会 備考
5000m 13分29秒50 2012年4月7日 金栗記念選抜陸上中長距離熊本大会
10000m 27分40秒69 2011年11月26日 八王子ロングディスタンス 日本歴代4位
ハーフマラソン 1時間00分58秒 2011年2月6日 香川丸亀国際ハーフマラソン 日本歴代3位
30 km 1時間30分01秒 2012年2月19日 熊日30キロロードレース
フルマラソン 2時間10分50秒 2014年12月7日 第68回福岡国際マラソン
歴代記録は当時の順位





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