名古屋高速4号東海線 歴史

名古屋高速4号東海線

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歴史

4号東海線は当初計画では1979年度までに供用される計画であった[11]。しかし、1970年代に高まりをみせた環境保全と生活防衛に絡めた都市高速道路建設反対運動は名古屋高速の建設計画に大きな影を落とし、それは道路建設予算の凍結と着工済み路線の建設中止となって現れた[12]。また、改めて将来交通量を見積もった結果、原初計画よりも交通量が低下することが判明した[13]。こうした中にあっても、市街地の交通集中解消は喫緊の課題であるため、都市高速は建設続行とされたが、以上に見た事情を勘案して、都心環状線の簡略化、高架式から半地下、地下構造への転換、2号東山線の一部ルート変更が決定された[13]。しかしながら、計画された全路線に対して環境対策を施すと莫大な資金を要することで償還計画に多大な影響を及ぼすことが懸念された。こうした環境対策を施したのちに全面開通した場合、8,850億円の建設費を通行料金で償還することは不可能とされ、影響を与えない範囲として6,000億円を下回ることが要請された。この要求金額内に抑える方策として高速3号の一時棚上げによる建設費圧縮が検討された[13][14]。このほか、上述の将来予測交通量の下方修正も手伝って[13]、1977年(昭和52年)5月に高速3号は都心環状部(明道町JCT - 山王JCT間)を除いて整備計画から除外、1985年(昭和60年)以降に再検討されることとされた[15][16]。しかし、1985年に名古屋市は高速道路計画の縮小案を提示、半地下、地下式に変更された道路構造を再度高架式に変更する計画と併せて高速3号の凍結期間の延長を表明し、3号線の計画はまたも延期された[17]

だが、同年4月に本山政雄から市政を引き継いだ西尾武喜は、都市高速道路の整備推進を政策目標としたことから[18][19]、それまで停滞していた事業を積極的に推し進めた。翌1986年(昭和41年)には高速3号の早期整備を検討する旨を表明し[20]、1992年(平成4年)6月の市議会にて高速3号の事業を推進する旨を公表した[21]。これは吹上 - 高針間と萩野 - 東新町間の完成の目途が立ったことによって交通量の増大が見込まれ、新たな高速道路網の整備が必要であると判断されたためである[21]。これを受けて名古屋市は早期着工を国に打診し、同年12月には建設省が着工に向けての調査路線に格上げすることを表明[22]、1996年(平成8年)12月の局長級折衝でも3号線南部が予算額3億円で認められ、中部国際空港開港予定の2005年(平成17年)までに開通する手筈とされた[23]。1998年(平成10年)2月には整備計画に組み込み[24]、4月には満を持して事業着手することが発表された[25]

ところが、用地買収に進展が見られないことで完成予定年度を5年延期して2010年度に変更[26][27]、さらに用地買収の他に新幹線を跨ぐ高架橋の建設に慎重を期する理由で再度完成時期の延期を表明、2012年度末と発表された[28]、しかしながら、工事現場の障害物撤去に時間を要することで三度の延期を見て[29]2013年(平成25年)11月に全線開通した。ただし、完成路線からの部分開通が実施され、山王JCT-六番北出入口間(2.8km)は2010年(平成22年)9月に開通、2011年11月には木場出入口 - 東海JCT間(5.3km)が部分開通している[30]。この区間は既存の名古屋高速の各路線と離れていたため、全線開通までの間、名古屋線で最初に利用する料金所から六番北出入口-木場出入口間を1時間以内に乗り継ぐ場合、新たに料金を徴収しない制度が適用された[31][30][32]

熱田区にて工事中の東海線
(2009年)
中川運河支線の松重閘門を背景に建設中の都心環状線と東海線合流部(2007年)

年表

  • 1970年昭和45年)9月25日 : 最初の都市計画が認可[33]
  • 1975年(昭和50年)5月27日 : 名古屋市は名古屋市議会建設環境部会にて名古屋高速計画路線の変更素案を提出、高速3号を計画から除外する案を提示[16]
  • 1977年(昭和52年)5月25日 : 高速3号は明道町JCT - 山王JCT間を除いて整備計画から除外(ただし都市計画としては残された)、1985年以降の再考を表明[15]
  • 1985年(昭和63年)3月11日 : 名古屋市は名古屋市議会建設環境委員会で高速3号の整備計画組み入れを1988年度以降に延期することを示唆[34]
  • 1996年平成8年)
    • 8月31日 : 中部地方建設局は地域高規格道路の整備区間に名古屋高速の名古屋市 - 東海市間を指定[35]
    • 12月22日 : 1997年度予算案の局長折衝で高速3号南部区間が新規路線として認可された(予算額3億円)[23]
  • 1998年(平成10年)
  • 2001年(平成13年)8月2日 : 4号東海線の先行工事(港楽木場工区)に着手[39]
  • 2004年(平成16年)
    • 2月24日 : 山王JCT3車線化を都市計画決定[40][41]
    • 3月30日 : 名古屋市道港楽木場町線および「きらく橋」開通[42]
    • 9月17日 : 2005年度の開通断念を報道発表。この時点における用地買収率は80%と発表[26]
  • 2005年(平成17年)10月2日 : 六番南出入口および東海JCTの西知多産業道路連絡路の追加を都市計画決定[43][44]
  • 2007年(平成19年)8月6日 : 山王カーブ拡張工事完了[45]
  • 2009年(平成21年)2月6日 : 2010年の全線開通断念を報道発表[28]
  • 2010年(平成22年)9月4日 : 山王JCT - 六番北出入口間(2.8km)開通。ただし、路線距離が短く利便性がないため山王入口と尾頭橋出口は供用見送りとされた[46]
  • 2011年(平成23年)11月19日 : 木場出入口 - 東海JCT間(5.3km)開通。山王入口、尾頭橋出口 供用開始[31][47]
  • 2012年(平成24年)6月14日 : 2013年3月末とした全線開業を2013年内に延期することを報道発表[29]
  • 2013年(平成25年)
    • 1月9日 : 六番一丁目交差点の東海道新幹線鉄橋上にて橋桁の架設工事を実施(開始は10日未明)。以後4月まで関連工事を続行[48]
    • 6月2日 : 最後の工事区間の新幹線跨線橋のボルトが招待された小学生によって締結。これで名古屋高速全線の橋桁が連結された[49]
    • 11月23日 : 六番北出入口 - 木場出入口間(3.9km)開通により全線開通[50]

注釈

  1. ^ 港明出入口は国道23号築地口ICとの接続を考慮している[8]
  2. ^ 木場出入口は国道23号竜宮ICとの接続を考慮している[10]
  3. ^ 港北公園は元は西側のみで、その後、近接する中川運河港北支線の役割が歴史と共に低下し、水質汚濁による悪臭も発生していたことから、これを埋め立て港北公園の拡大に充てることになった。そして、埋め立てを完了し、港北公園の東園として一般供用されたのは1986年(昭和61年)4月であった。なお、運河埋め立てに当たり、平和橋のみ記念物として残され、これは市道江川線を跨いで公園の東西をつなぐ連絡路として機能している(参考文献:『名古屋の公園100年のあゆみ』2010年3月発行、名古屋市・(財)名古屋市みどりの協会、p.112 および『名古屋市港区史』昭和62年10月1日発行、港区制施行五十周年記念事業実行委員会・名古屋市港区役所、pp.370)。

出典

  1. ^ 『愛知県法規集』7 土木建築、愛知県総務部文書課編集、第一法規出版株式会社発行、第八章 道路、p.3030、愛知県図書館
  2. ^ 名古屋高速道路公社20年史編集委員会 1991, p. 49.
  3. ^ a b 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 418.
  4. ^ 名古屋高速道路公社20年史編集委員会 1991, pp. 13–15.
  5. ^ a b 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 133.
  6. ^ a b “名高速4号東海線開通半年”. 中日新聞朝刊. (2014年8月1日) 
  7. ^ a b 名古屋高速道路公社 工事誌編集委員会 1998, p. 612.
  8. ^ 『名古屋高速道路公社四十年史』名古屋高速道路公社、2012年3月、139頁
  9. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 142.
  10. ^ 『名古屋高速道路公社四十年史』名古屋高速道路公社、2012年3月、142頁
  11. ^ 愛知県、名古屋市 1970, pp. 16–18.
  12. ^ 名古屋高速道路公社30年史編集委員会 2002, pp. 16–17.
  13. ^ a b c d “名古屋の都市高速道計画 十字型に大幅修正 3号線タナ上げ建設費5500億円に減額”. 中日新聞朝刊. (1975年3月25日) 
  14. ^ “迷走ロード名古屋都市高速道 上”. 中日新聞朝刊: p. 18. (1975年5月28日) 
  15. ^ a b 名古屋高速道路公社20年史編集委員会 1991, pp. 92–93.
  16. ^ a b “1、2号線だけの十字型 名古屋都市高速道路 市当局が変更素案提出”. 中日新聞夕刊: p. 1. (1975年5月27日) 
  17. ^ “高速道計画を縮小 名古屋市 2号線(北部)、高架式に変更 空港延長も見送り 3号線凍結”. 中部読売新聞朝刊. (1985年7月19日) 
  18. ^ “この問題をどうする 市長選両候補に市民が問う =2=”. 中日新聞朝刊: p. 14. (1985年4月11日) 
  19. ^ “名古屋市長に西尾氏初当選 海保氏に20万票差”. 中日新聞朝刊: p. 1. (1985年4月22日) 
  20. ^ “名古屋都市高速 市長が「高架」転換表明”. 中日新聞夕刊: p. 1. (1986年2月15日) 
  21. ^ a b c “名古屋高速、3号線も着工へ 清洲、東海の2路線18キロ”. 朝日新聞(名古屋)夕刊: p. 1. (1992年6月25日) 
  22. ^ “構想路線から調査路線に格上げ 名古屋高速3号線放射部”. 朝日新聞(名古屋)夕刊: p. 1. (1992年12月26日) 
  23. ^ a b “来年度予算の局長折衝「愛知万博」は満額近い復活 高速「3号南部」に3億円”. 毎日新聞(中部)朝刊: p. 18. (1996年12月23日) 
  24. ^ 名古屋高速道路公社30年史編集委員会 2002, pp. 136–137.
  25. ^ a b “中川区-東海市の延長12キロ、3号線南部区間着手へ 名古屋高速道路公社が発表”. 毎日新聞(中部)朝刊: p. 20. (1998年4月11日) 
  26. ^ a b “名古屋高速・4号東海線 完成は09年度に 用地買収難航”. 中日新聞朝刊: p. 24. (2004年9月17日) 
  27. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 29.
  28. ^ a b “全線開通2年遅れ 高速4号東海線 用地買収遅れ、12年度末”. 中日新聞朝刊: p. 22. (2009年2月7日) 
  29. ^ a b “名古屋高速4号線延伸延期”. 朝日新聞: p. 27. (2012年6月15日朝刊) 
  30. ^ a b 名古屋高速道路(高速4号東海線 木場〜東海JCT間)の開通のお知らせ Archived 2012年6月23日, at the Wayback Machine.
  31. ^ a b “名古屋高速 木場-東海JCT間、来月19日に開通”. 毎日新聞(中部)朝刊: p. 21. (2011年10月15日) 
  32. ^ 名古屋高速開通|乗り継ぎについて
  33. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 453.
  34. ^ “都市高速3号線見直し 63年度以降に 市議会委市側示唆”. 中日新聞朝刊: p. 24. (1985年3月12日) 
  35. ^ “4路線4区間を指定 高規格道路の整備”. 毎日新聞(中部)朝刊. (1996年9月1日) 
  36. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 28.
  37. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 464.
  38. ^ a b c 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 141.
  39. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 465.
  40. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, pp. 137–138.
  41. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 466.
  42. ^ a b 『広報なごや 縮刷版』No.673 - No.684(平成16年1 - 12月号)、p.157、p.203 名古屋市鶴舞中央図書館
  43. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, pp. 26.
  44. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 467.
  45. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 468.
  46. ^ “名高速4号9月4日開通 山王-六番北”. 中日新聞夕刊: p. 12. (2010年7月13日) 
  47. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 134.
  48. ^ a b c “新幹線をひとまたぎ 熱田で名高速工事”. 中日新聞朝刊: p. 26. (2013年1月10日) 
  49. ^ “名古屋高速全線の橋桁つながる 跨線橋完成 親子記念にサイン”. 中日新聞朝刊: p. 16. (2013年6月3日) 
  50. ^ “名高速の六番北 - 木場開通 公社設立後43年、全線完成”. 中日新聞朝刊: p. 24. (2013年11月24日) 
  51. ^ 令和2年度全国道路・街路交通情勢調査の延期について” (PDF). 国土交通省 道路局 (2020年10月14日). 2021年5月9日閲覧。
  52. ^ 南区公害病患者と家族の会(分野別) 2009, pp. 92–93.
  53. ^ 南区公害病患者と家族の会(資料編) 2009, pp. 56–57.
  54. ^ 南区公害病患者と家族の会(分野別) 2009, p. 94.
  55. ^ 南区公害病患者と家族の会(資料編) 2009, p. 64.
  56. ^ 南区公害病患者と家族の会(分野別) 2009, p. 97.
  57. ^ “名古屋新幹線訴訟 解決金は4億8000万円 26日にも仮調印 騒音75ホン以下に努力”. 中日新聞朝刊: p. 1. (1986年3月23日) 
  58. ^ “名古屋都市高速道路 市原案が決まる 年度内にも着工 67キロ、工費は1500億円”. 中日新聞夕刊. (1970年4月16日) 
  59. ^ 南区公害病患者と家族の会(分野別) 2009, p. 96.
  60. ^ 南区公害病患者と家族の会(分野別) 2009, pp. 96–98.
  61. ^ a b “名高速4号「新幹線またぎ」奈良の大仏4体分1000トンの橋桁架設”. 中日新聞朝刊: p. 20. (2012年11月21日) 
  62. ^ a b 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 135.
  63. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 139.
  64. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, pp. 140–141.
  65. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, pp. 146–147.
  66. ^ 名古屋高速道路公社30年史編集委員会 2002, p. 117.
  67. ^ a b 『1:10,000地形図 名古屋2号名古屋南部の12 千年』昭和31年11月30日発行、国土地理院、 愛知県図書館
  68. ^ a b c 『1:10,000地形図 名古屋2号名古屋南部の13 名古屋港』昭和31年11月30日発行、地理調査所、 愛知県図書館
  69. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 144.
  70. ^ 西別府順治 2011, p. 222.
  71. ^ 名古屋市農政緑地局編 1980, pp. 港区公園配置図(ページ数なし).






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