上芦別駅 歴史

上芦別駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 16:48 UTC 版)

歴史

 
上段:1977年の上芦別駅北側周囲約1㎞範囲。右に空知川、左に支流の芦別川が流れる。左が本線滝川方面。右上へカーブして行く軌道跡は三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道で、空知川を渡ってトンネルを抜け、ペンケホロナイ川上流へ向かっていた。鉄橋は閉山と共に爆破撤去されたが、中央上端の対岸近くに1本だけ橋脚が残されている。この軌道は1933年に三菱鉱業が一時撤退する以前に、空知川手前の低山「なまこ山」に開かれた第一坑へ敷かれていた専用線の軌道跡を再利用している。
下段:1977年の上芦別駅と周囲約1㎞範囲。駅裏のストックヤードに木材が僅かに積まれているが、ここにはかつて芦別森林鉄道が、左下に見える山の南西側、芦別川上流の奥芦別から接続していた。元々この軌道は、やはり三菱鉱業が一時撤退する以前の第二坑及び第三坑まで敷設した専用線の跡地を利用し[注釈 1]、奥芦別まで延長したもの。また右端の空知川対岸には明治鉱業上芦別炭鉱が開かれ、そこより当駅の富良野側に設けられた積み込み設備へ向けて坑外電車軌道(輪車路)が敷かれていたが、一番右の川面に3本橋脚の影が写っている専用軌道の鉄橋と、その延長線上の小道に転用された軌道跡が確認できる。
当駅の構内自体は芦別駅に比べると約半分の500m程度の長さしか無い。
上段下段共に国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

昭和30年前後には、貨物の取り扱いが全国でも有数の量を誇る駅となっていた[3]

年表

  • 1917年(大正6年)11月:三菱合資会社(後の三菱鉱業)第一坑まで分岐線2.4km敷設。12月運炭開始。
  • 1920年(大正9年)1月16日鉄道院釧路本線(→根室本線)の駅として、下芦別駅(→芦別駅) - 野花南駅間に新設(一般駅[4]。同時に三菱鉱業第三坑(六線沢/加藤ノ沢)までの専用線4.7km運用開始。
  • 1932年(昭和7年)9月:三菱鉱業第一坑閉鎖。
  • 1933年(昭和8年)9月:三菱鉱業第二坑、第三坑閉鎖、三菱鉱業上芦別炭鉱休山[注釈 2]
  • 1934年(昭和9年)11月:帝室林野局上芦別出張所が芦別森林鉄道31.2kmを竣工。
  • 1937年(昭和12年):空知川対岸の金剛地区から山崎幸輔(後に東芦別炭鉱を設立)が索道を設置して運炭。
  • 1938年(昭和13年):山崎幸輔が当駅隣接の貨車積み込み貯炭庫設置。
  • 1944年(昭和19年)11月:明治鉱業が東芦別炭鉱(山崎幸輔)を買収。明治鉱業上芦別鉱業所設立。
  • 1949年(昭和24年)
  • 1954年(昭和29年):三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道 辺渓 - 辺渓三坑間開通。
  • 1961年(昭和36年):芦別森林鉄道廃止。中間地点に北菱炭鉱の運炭用3.8kmを残して軌道撤去。トラック輸送に切り替え。
  • 1963年(昭和38年)1月31日:明治鉱業上芦別鉱業所閉山。
  • 1964年(昭和39年)3月:三菱鉱業芦別鉱業所閉山に伴い専用鉄道廃止。
  • 1975年(昭和50年)2月1日:貨物取扱を専用線発着車扱貨物に限定。
  • 1982年(昭和57年)
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]
  • 199x年:簡易委託廃止、完全無人化。

駅名の由来

芦別駅(旧:下芦別駅)より空知川の上流にあることから[7]


注釈

  1. ^ 芦別市史の同専用線についての記述には、章毎に内容の矛盾が見られるが、郷土史編の第13部空知川左岸支流部/第4章炭鉱的郷土形成/東頼城町 P1391の記述が建設時の内容にも触れていて信憑性が高い。それによればこの専用線は国鉄規格によって作られ、国鉄線からそのまま機関車が乗り入れることができたとの事である。従って当森林鉄道の762mm軌間ではないので、森林鉄道はこれをそのまま使用したのではないと思われるが、その点に関する記述は上記資料には無い。
  2. ^ 北海道営林局(直営)50年史 平成9年11月発行 P292 によれば、第三坑まで敷かれた専用線は、閉山1年前の昭和7年には既に帝室林野局へ売却されていたとみられ、森林鉄道として運用されている。

出典

  1. ^ a b 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、874頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、232頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ a b c d 塊 上芦別町開基百周年記念誌. 上芦別町開基百周年記念事業協賛会. (1996). pp. 276-279 
  4. ^ 内閣印刷局, ed (1920‐01-13). “鉄道院告示 第1号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (2230). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954343/1. 
  5. ^ “日本国有鉄道公示第45号”. 官報. (1982年5月28日) 
  6. ^ “「通報」●根室本線東滝川駅ほか6駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 4. (1982年5月28日) 
  7. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、118頁。ASIN B000J9RBUY 
  8. ^ 宮脇俊三原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、109頁。ISBN 4-09-395401-1 
  9. ^ 上芦小学校前 のりば地図”. 北海道中央バス. 2019年6月5日閲覧。

JR北海道

  1. ^ 駅別乗車人員(2016)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道株式会社. p. 2 (2017年12月8日). 2018年8月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月17日閲覧。
  2. ^ 根室線(滝川・富良野間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために)』、北海道旅客鉄道株式会社、3頁、2018年7月2日。 オリジナルの2018年8月18日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20180818043812/http://www.jrhokkaido.co.jp/corporate/region/pdf/senku/06.pdf2018年8月18日閲覧 
  3. ^ 根室線(滝川・富良野間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
  4. ^ 根室線(滝川・富良野間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月4日閲覧。
  5. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
  6. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
  7. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月10日閲覧。


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