三鷹事件 その他

三鷹事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 08:36 UTC 版)

その他

謀略説に関わるもの

「1949年(昭和24年)7月15日に三鷹駅で大事件が起きる」という噂が警察関係で語られていたとの指摘が存在する。事故によって大破した三鷹駅前の交番には4人の警察官が勤務していたが、事件時は交番を留守にしていたため4人全員が無事であったことなどが傍証としてあげられている[24]

その他、いくつかの不可解な動き、特に共産党員の犯行であるかのように印象づける以下のような証言もなされた。

  • 中野電車区で「今夜、三鷹駅で共産党が大事故を起こす」という噂が流れていたとの証言[25]
  • 事故直後に三鷹駅前の広報放送で「この事故は、共産党員が関係しているとみられます。(以下略)」との放送が流れたという証言[25]
  • 事故発生直後にヤクザ風の男20 - 30人の一団が、駅前広場に駆け出てきて現状保存のため手際よく縄を張り、「これは共産党の仕業だ」と吹聴したという証言[26]
  • 米軍MPのジープが素早くやって来て、事故現場周辺の人々を「ゲッタウエイ」(Get away)と追い出したという証言[26]

1950年(昭和25年)に東京地方裁判所の裁判長として判決を下した鈴木忠五は、後年の回想で本事件について「事件そのものは非常に単純なんです」「あの当時米軍に司法関係の二世がいて、それが共産党をやっつけることに使命を感じ、それの意向が八王子の検察官の間にあったと思うんです」「警察の方は、むしろ共産党だとは思っていなかったのではないか、というフシもありますね」と語っている。その上で「竹内の目的は、全部の電車を車庫から出られないようにすることで、電車を暴走させることではなかった」「どういうはずみか、ポイントが止めてあるのに、そこを突っ切って電車が動きだし、大事故になったわけです。だから、竹内も全然予期していなかったことが起こったわけです。」とし、竹内の妻が「大変な事故で死人が出ているらしいから一緒に見にいこう」と言って帰宅していた竹内を無理に引っ張り出すも、「途中で誰かに死者が何人も出たということを聞いて、もう竹内は女房に、『お前、行くなら勝手に行け。オレはそんなの見るのはいやだから帰る』といって帰ってしまっている。その心理状態です」など、数々の秘話を明かしている[27]

日本共産党との関係による竹内犯行説に関わるもの

竹内は、再審請求補充書[28]で「弁護士から、罪を認めても大した刑にならない、必ず近いうちに人民政府が樹立される、ひとりで罪を認めて他の共産党員を助ければ、あなたは英雄になると説得された」と主張している。また、竹内と面会した加賀乙彦は、竹内が「おれは弱い人間なんですね。弱いから人をすぐ信用してしまう。党だって労組だって、大勢でお前を全面的に信用するといわれれば、すっかり嬉しくなって信用してしまった。(略)けっきょく、党によって死刑にされたようなもんです。」と語っていたと述べている[1]

兵本達吉によると、主任弁護士として本事件に関わった林百郎は後年、竹内はクロ(有罪)であるとし、「もう一度、『三鷹事件』のことを考えてみた。竹内がシロだと考えると証拠と証拠の間に次々と矛盾が起る。しかし、クロだと考えるとつじつまが合うのだ」と述べていたという[29]


注釈

  1. ^ 事件直前に国鉄を解雇されていた竹内は食料品の販売で生計を立てていた。
  2. ^ 『法律時報』1950年10月号別冊附録に判決文他がまとめてある。「三鷹事件判決全文」に続き、「理由」(2-130頁)に「第一 被告人竹内景助に関する部分」(2-29頁)、「第二 被告人飯田七三、同清水豊、同外山勝将、同横谷武男、同田代勇、同宮原直行、同伊藤正信、同喜屋武由放、同先崎邦彥に関する部分(29-130頁)を掲載[4]
  3. ^ 判事のうち田中耕太郎齋藤悠輔岩松三郎入江俊郎霜山精一井上登河村又介本村善太郎の8人が上告棄却(死刑確定)、真野毅栗山茂小谷勝重藤田八郎谷村唯一郎島保小林俊三の7人が破棄差し戻し(死刑判決の審理やり直し)をそれぞれ主張した。

出典

  1. ^ a b c d 堀川惠子『教誨師』講談社、2014年、54-67, 183-187頁。ISBN 4062187418 
  2. ^ 竹内景助、橫谷武男、田代勇、宮原直行、淸水豐、外山勝將「独占発表 三鷹事件六被告の手記」『世界評論』第5巻第1号、1950年1月、94-117頁、doi:10.11501/3556894 
  3. ^ 「また単独を主張」『日本経済新聞』昭和25年7月1日4面
  4. ^ 「別冊附録;10月号」『法律時報』第22巻10 (245)、日本評論社、東京、1950年10月1日。 
  5. ^ 三鷹被告団一同対策委員会「判決に対して訴える」『部落』第67号、部落問題研究所、京都、1955年8月、19-20頁、doi:10.11501/2800417 
  6. ^ 竹内景助、佐多稻子「往復書簡 無実の眞実のために日本の動向を支配するもの」『新日本文学』第8巻第2号、新日本文学会、1953年2月、72-74頁、doi:10.11501/6078886 
  7. ^ 竹内景助「〝わたしは無罪だ〟」『新しい世界』第68号、日本共産党出版局事業部、1953年6月、82-86 (0043.jp2)、doi:10.11501/3542949 
  8. ^ 竹内景助「人間の真実を守つて」『部落』第67号、部落問題研究所、京都、1955年8月、16-19 (0010.jp2)、doi:10.11501/2800417 
  9. ^ 竹内景助、緑の会編集部 (編)「これが日本の裁判か」『人生手帖』第5巻第11号、文理書院、東京、1956年11月、34-39頁、doi:10.11501/1775583 
  10. ^ 佐々木守雄「「私は絶対やっておりません」--三鷹事件の竹内景助氏と会って」『労働法律旬報』、旬報社、1956年12月、16-19 (0009.jp2)、doi:10.11501/2819483 
  11. ^ 竹内景助「おいしいものから食べなさい」『文藝春秋』第35巻2 (205)、1957年2月、212-224頁、doi:10.11501/3198099 
  12. ^ 『文藝春秋』。 
  13. ^ 竹内景助「三鷹事件と私」『文藝春秋』第49巻第12号、1971年9月、88頁、doi:10.11501/3198301 
  14. ^ 秋元寿恵夫「竹内景助氏の独房における健康と環境衛生の鑑定書」『医学評論』第32号、新日本医師協会、東京、1967年8月、37-42頁、doi:10.11501/3383907 
  15. ^ 朝日新聞』1967年1月18日東京夕刊第3版第一社会面9頁「三鷹事件の竹内が死亡」(朝日新聞東京本社
  16. ^ 「死刑囚・竹内景助遺族の痛憤--三鷹事件ただ一人の有罪者が突然獄死するまで」『週刊文春』第9巻5 (404)、1967年2月、26-29頁。 
  17. ^ 竹内まさ子「本誌独占〝三鷹事件〟竹内景助未亡人の手記」『新評』、新評社、東京、1967年4月、46-56 (0025.jp2)、doi:10.11501/1808054 
  18. ^ 松村高夫, p. 49.
  19. ^ 「昭和四三年(し)三四 再審請求事件についてした異議申立棄却の決定に対する特別抗告|申立人(弁護人)小沢茂外一九名 |再審請求人(竹内景助)一一・二九 二 棄却 東京高」『最高裁判所裁判集』 刑事 169(昭和43年10月-昭和43年12月)、573 (0295.jp2)頁。doi:10.11501/1349097 
  20. ^ “三鷹事件、44年ぶりに再審請求 元死刑囚長男が東京高裁に申し立て”. MSN産経ニュース. (2011年11月11日). オリジナルの2011年11月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111112000505/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111111/trl11111100120000-n1.htm 2013年11月9日閲覧。 
  21. ^ 東京高裁、「三鷹事件」再審認めず 昭和24年の旧国鉄列車暴走」『日本経済新聞日本経済新聞社、2019年7月31日。2020年9月20日閲覧。オリジナルの2020年9月20日時点におけるアーカイブ。
  22. ^ 「三鷹事件」異議申し立て棄却 再審認めず、弁護団が特別抗告―東京高裁”. JIJI.COM. 2022年3月11日閲覧。
  23. ^ 日本放送協会 (2024年4月17日). “「三鷹事件」 竹内景助元死刑囚の再審 最高裁も認めない決定 | NHK”. NHKニュース. 2024年4月17日閲覧。
  24. ^ 小松良郎 1967, p. 10.
  25. ^ a b 松村高夫, p. 14.
  26. ^ a b 松村高夫, p. 15.
  27. ^ 野村二郎『法曹あの頃(下)』(日評選書、1981年)pp.170-172
  28. ^ 福田玲三『労働研究』第358号、労働運動研究所、1999年8月、47頁、doi:10.11501/1817140 
  29. ^ 兵本達吉『日本共産党の戦後秘史』新潮社、2008年、96-97頁。ISBN 978-4-10-136291-5OCLC 269438831 
  30. ^ 志保田行「本の紹介| 片島紀男著「三鷹事件」」『労働研究』第358号、労働運動研究所、1999年8月、47 (0025.jp2)、doi:10.11501/1817140 


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