谷村唯一郎とは? わかりやすく解説

谷村唯一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/08 05:47 UTC 版)

1953年

谷村 唯一郎(たにむら ただいちろう、1887年4月5日 - 1982年5月29日)は、日本の弁護士最高裁判所判事

経歴

鹿児島県大島郡名瀬町(名瀬市を経て現奄美市)生まれ[1]会計検査院の書記をしながら、1914年中央大学法律科を卒業[1]1917年に弁護士となり、戦前には東京弁護士会会長を務める[1]。戦後は法曹一元化に一環として司法次官(後の法務事務次官)として数々の法改正を手がけ、司法研修所の設立に力を尽くした[1]。また、GHQ公職追放解除を審査する公職資格訴願審査委員会委員長を歴任[1]

1951年4月、最高裁判所判事となる[2]

定年前の1956年11月に「定年なんて老いぼれの烙印を押されるのは嫌」として依願退官[2]。退官後は運輸審議会会長、日本法律家協会会長を歴任。また中央大学理事、飯野海運や三省堂などの顧問弁護士を務めた[3]

1982年5月30日に東京都練馬区の病院で95歳で死去[3]。墓所は多磨霊園[4]

人生訓は「無理をしないこと、欲を出さないこと」「何事も腹八分目がいい」[2]

脚注

  1. ^ a b c d e 野村二郎 1986, p. 55.
  2. ^ a b c 野村二郎 1986, p. 56.
  3. ^ a b 野村二郎 1986, p. 57.
  4. ^ 谷村唯一郎”. www6.plala.or.jp. 2024年11月28日閲覧。

参考文献


先代
本多市郎
中央大学評議員会議長
1959年 - 1968年
次代
永山忠則
先代
大川博
中央大学学員会会長
1971年 - 1982年
次代
堂野達也




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「谷村唯一郎」の関連用語

谷村唯一郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



谷村唯一郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの谷村唯一郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS