ビザンティン建築 脚注

ビザンティン建築

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/29 17:28 UTC 版)

脚注

参考文献

  • 浅野和生 『イスタンブールの大聖堂 モザイク画が語るビザンティン帝国』 中央公論新社中公新書〉、2003年、ISBN 9784121016843
  • 浅野和生 『サンタクロースの島 地中海岸ビザンティン遺跡発掘記』 東信堂、2006年、ISBN 9784887137066
  • ジョン・ブライアン・ウォード=パーキンズ 『ローマ建築』 桐敷真次郎訳、本の友社〈図説世界建築史〉、1996年、ISBN 9784894390201
  • 大月康弘『帝国と慈善 ビザンツ』 創文社、2005年、ISBN 9784423460580
  • 香川壽夫・香川玲子 『イタリアの初期キリスト教聖堂 静かなる空間の輝き』 丸善〈建築巡礼〉、1999年、ISBN 9784621046166
  • 高橋榮一 『世界美術大全集 西洋編6 ビザンティン美術』 小学館、1997年、ISBN 9784096010068
  • 日高健一郎・谷水潤 『イスタンブール』 丸善〈建築巡礼〉、1990年、ISBN 9784621035184
  • ニコラウス・ペヴスナーほか 『世界建築辞典』 鈴木博之監訳、鹿島出版会、1984年、ISBN 9784306041615
  • 益田朋幸 『ビザンティン』 山川出版社〈世界歴史の旅〉、2004年、ISBN 9784634633100
  • シリル・マンゴー 『ビザンティン建築』 飯田喜四郎訳、本の友社〈図説世界建築史〉、1999年、ISBN 4894392739
  • ジョン・ラウデン 『初期キリスト教美術・ビザンティン美術』 益田朋幸訳、岩波書店〈岩波 世界の美術〉、2000年、ISBN 9784000089234
  • Richard Krautheimer, Early Christian and Byzantine Architecture, 4th edition, Yale University Press, Pelican History of Art Series, 1992, ISBN 9780140560244
  • John A. Hamilton, Byzantine Architecture and Decration, Reprint edition, Ayer Co Pub, 1977, ISBN 9780836999372
  • 熊倉洋介、末永航、羽生修二、星和彦、堀内正昭、渡辺道治『増補新装カラー版西洋建築史』、美術出版社、1995年、58

関連項目

日本正教会ニコライ堂東京都千代田区)。日本最大のビザンティン建築による大聖堂。

ビザンティン建築に関わる世界遺産

ヨーロッパ

アジア

アフリカ


注釈

  1. ^ この時代の歴史については不明な部分が多いが、帝国の社会構造と文化が変容したことは疑いない。東ローマ帝国の政治・社会的状況については、ゲオルグ・オストロゴルスキー『ビザンティン帝国史』、J.M.ロバーツ『世界の歴史4ビザンティン帝国とイスラーム文明』p86-p92など。および東ローマ帝国の項を参照。
  2. ^ 11世紀にスクィンチ式の建築が構成されるなどの革新もあり、建築活動が停滞していたというわけではないが、この頃のビザンティン建築はおよそ400年に渡ってきわめてゆっくりと変化した[4]
  3. ^ 現在のサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂。伝承によれば312年に建設されたが、内外部は徹底的に改編されている。バシリカであること以外、創建当時の面影はない。
  4. ^ 現在はイスラム寺院イムラホール・ジャーミイであるが、廃墟となっている。
  5. ^ 聖墳墓教会については現存しているものの、長い歴史の中で破壊と再建が繰り返され、バシリカの部分は失われてしまった。
  6. ^ 初期キリスト教建築のバシリカとしては、例えばローマでは次のものがある。サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(385年〜400年頃)、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂(432年-440年頃)、サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂(4世紀)、サン・クレメンテ聖堂(4世紀)、サンタ・サビーナ聖堂(5世紀)。いずれも後に大規模な改装をされている。その他、小アジアからヨーロッパまで、かなりの数のバシリカが残存する。
  7. ^ オルミダス宮殿の付属礼拝堂として、テオドラの命により建設された。現在はイスラム寺院キュチュック・アヤソフィア・ジャーミイ。旧アヤソフィアの意であり、ハギア・ソフィア大聖堂の先駆的建築物とされるが確証はない。
  8. ^ 現存しない。しかし、一辺が50m四方の正方形平面を持つ巨大建築物で、平面規模はハギア・ソフィア大聖堂に匹敵する。11世紀には放棄されていたが、第4回十字軍によってさらに徹底的に略奪され、彫刻部材などはヴェネツィアにもたらされた。代表的なものとしてピラストリ・アクリタニと呼ばれる柱材がある。
  9. ^ 現アヤイリニ博物館。
  10. ^ 現存せず。コンスタンティノス9世によりハギア・ソフィア大聖堂に匹敵する教会堂として建設された。平面規模は23m×33mと大聖堂よりも小さいが、多額の費用を投入したにもかかわらず皇帝の気にいらなかったため2度にわたって建設をやり直し、国庫に大打撃を与えた。
  11. ^ 現在はイスラム寺院エスキ・イマレト・ジャーミイ。
  12. ^ 現在はイスラム寺院ゼイレク・キリッセ・ジャーミイ。
  13. ^ 修道院による活動は暗黒時代に活性化し、その拠点はビテュニアにあった。C.マンゴーは、内接十字型教会堂が空間の分節を要しないことから、この形式の教会堂は修道院で成立したと推定する[14]
  14. ^ 現在はイスラ寺院ファナリ・イサ・ジャーミイ。
  15. ^ 現在はイスラム寺院ボドルム・ジャーミイ。
  16. ^ オスマン帝国の時代はイスラム寺院カーリエ・ジャーミイ。現在は美術館として一般公開されている。
  17. ^ ビザンティンの教会堂建築の主な平面形式としては、次のようなものがある。十字型:コンスタンティノポリス聖使徒聖堂の形式で、ラテン十字またはギリシア十字平面を持ち、中央部とそれぞれの腕の部分にドームを頂く。エフェソスのアギオス・ヨアンニス・オ・テオロゴス聖堂、クレタ島ゴルテュナのアギオス・ティトゥス聖堂、ヴェネツィアサン・マルコ大聖堂がある。三葉型(トラコンチ)あるいは四葉型(テトラコンチ):アトス山の修道院群の中央聖堂に見られる形式。ラヴラ修道院のほか、ヴァトペディ修道院、イヴィロン修道院の中央聖堂において採用され、現在でも正教圏では広く普及している。
  18. ^ 十字型の平面計画で、横に突き出した部分。袖廊、あるいは翼廊という。
  19. ^ 現在知られている限り、最初期の事例はミリアムリクにある教会堂で、5世紀後期のものである[18]
  20. ^ 大型の内接十字型聖堂でも、ドームの直径が4mを超えるのはまれである。
  21. ^ 有力市民の没落については、ローマ都市の活動の担い手である都市参議会員の現象に明確に現れているが、これは経済的疲弊というよりも古代世界の都市構造の転換にあるとされる[27]

出典

  1. ^ J・B・ウォード・パーキンズ『図説世界建築史ローマ建築』p225
  2. ^ 『図説西洋建築史』p49「古代最後の輝き」。
  3. ^ C・マンゴー『図説世界建築史ビザンティン建築』p5。ただし、著者自身は7世紀以後をビザンティン建築と区分する方が都合がよいとしつつも、ユスティニアヌス帝の時代を含めた4世紀以降をビザンティン建築として記述している。N・ペヴスナー『世界建築辞典』p358「ビザンティン建築」では、ユスティニアヌス帝の時代を初期キリスト教の絶頂期かつビザンティン建築の胎胚期とする。R・クライトハイマーはユスティニアヌス帝の時代である6世紀をビザンティン建築の始まりとする。Eary Christian and Byzantine Architecture, p204
  4. ^ 『図説世界建築史5ビザンティン建築』p135およびp181。
  5. ^ ジョン・ラウデン『岩波世界の美術初期キリスト教美術・ビザンティン美術』p34。
  6. ^ C.マンゴー『図説世界建築史ビザンティン建築』p41-p43。
  7. ^ C.マンゴー『図説世界建築史ビザンティン建築』p93。
  8. ^ C.マンゴー『図説世界建築史ビザンティン建築』p60。
  9. ^ 浅野和生『サンタクロースの島 地中海岸ビザンティン遺跡発掘記』p209-p216。
  10. ^ C.マンゴー『図説世界建築史ビザンティン建築』p115。
  11. ^ C.マンゴー『図説世界建築史ビザンティン建築』p5
  12. ^ C.マンゴー『図説世界建築史ビザンティン建築』p137。
  13. ^ C.マンゴー『図説世界建築史ビザンティン建築』p147。マラズギルトの戦いでセルジューク朝に敗退したのが1071年。第1回十字軍が派遣され、十字軍国家が樹立されるのが1101年である。帝国の崩壊はアレクシオス1世コムネノスヨハネス2世コムネノスの帝国再編によって食い止められるが、1204年に破局を迎える。
  14. ^ 『図説世界建築史ビザンティン建築』p106。
  15. ^ C.マンゴー『図説世界建築史ビザンティン建築』p159-p160
  16. ^ C・マンゴー『図説世界建築史ビザンティン建築』p166。13世紀のヴェネツィアの邸宅に採用されていたものが、東方に伝達されたと推定している。
  17. ^ a b 長塚安司「円熟期を迎える首都と周辺」『世界美術大全集 西洋編6 ビザンティン美術』149-150頁。
  18. ^ R. Krautheimer, Early Christian and Byzantine Architecture, p. 245.
  19. ^ a b J. A. Hamilton, Byzantine Archtecture and Decoration, p. 55.
  20. ^ “キリスト教、東西分裂後初会談で和解 思惑・緊張交錯 ローマ法王とロシア正教”. 日本経済新聞. (2016-2-13) 
  21. ^ ハンス・ユルゲン・マルクス (1980). 中世期における東西の分裂. 
  22. ^ 篠野史郎 (1990). “初期キリスト教ローマ帝国の集中形式宗教建築における内部の造形理念”. 日本建築学会計画系論文報告集410巻: 125. 
  23. ^ 『増補新装カラー版西洋建築様式史』美術出版社、1995年3月25日、58頁。 
  24. ^ R. Krautheimer, Eary Christian and Byzantine Architecture, pp. 292-295.
  25. ^ J. A. Hamilton, Byzantine Architecture and Decoration, pp. 55 f.
  26. ^ J. A. Hamilton, Byzantine Architecture and Decoration, pp. 56 f.
  27. ^ 大月康弘『帝国と慈善ビザンツ』54頁。
  28. ^ 大月康弘『帝国と慈善ビザンツ』180-183頁。
  29. ^ 大月康弘『帝国と慈善ビザンツ』154-177頁。





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