ハルキディキ県
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/23 10:25 UTC 版)
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- Περιφερειακή ενότητα Χαλκιδικής
- 測地系: 北緯40度20分 東経23度30分
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国 ギリシャ共和国 地方 中央マケドニア 県都 ポリギロス 面積 2,918 km² 人口 109,587 人 (2005年) 人口密度 38 人/km² ナンバープレート XK 自治体コード 59 構成自治体数 5 標準時 EET(UTC+2)
夏時間はEEST(UTC+3)公式ウェブサイト www.halkidiki.gov.gr
エーゲ海に突き出したハルキディキ半島の主要部分を占める。古代にはカルキディケー(古代ギリシア語: Χαλκιδική / Khalkidikḗ)と呼ばれた。
地理
位置・広がり
ハルキディキ県は、中央マケドニア地方の南部に位置する。ハルキディキ半島の主要部分を占め、北にテッサロニキ県と接する。
ハルキディキ半島(Χαλκιδική χερσόνησος)は、エーゲ海の北西部に突き出した大きな半島である。ハルキディキ半島を「掌」に見立てたとき、「指」状に突き出した3本の半島がある(ギリシャでは「足」と表現される)。それぞれの「指」は、西からカサンドラ半島(Χερσόνησος της Κασσάνδρας)、シトニア半島(Χερσόνησος της Σιθωνίας)、アトス半島(Χερσόνησος του Άθως)と呼ばれている。最も東側のアトス半島(アトス山)はギリシャ正教の修道士たちによる自治国「アトス自治修道士共和国」となっており、ギリシャ共和国の一般的な地方行政の外に置かれている。このため、ハルキディキ県には含まれない。
古来、これらの「指」を船で短絡する試みはいくたびか行われており、ペルシャ戦争時にクセルクセス1世がアトス半島の峻険な海岸を避けるべく、その付け根に運河 (it) を掘らせたことは知られている。クセルクセスの運河は現存しないが、カサンドラ半島の付け根のポティデア (Potidaea)(古称: ポティダイア)にも古代にさかのぼる運河 (it) があり、こちらは現在も運用されている。
ハルキディキ半島西側の海をテルマイコス湾、カサンドラ半島とシトニア半島に挟まれた湾をトロネオス湾(Toroneos Kolpos)、シトニア半島とアトス半島に挟まれた湾をシンギティコス湾(Siggitikos Kolpos)と呼び、ハルキディキ半島東側の海をスティモニコス湾と呼ぶ。シンギティコス湾には、西にディアポロス島 (Diaporos Island) 、東にアムリアニ島 (Ammouliani) が所在する。
地勢
アトス半島は先端にアトス山を擁する峻険な山岳地帯である。
県の北部にはホロモンダス山脈が広がっている。県の海岸部には砂浜が多くあり、夏のリゾート地となっている。
主要な都市・町
人口3000人以上の都市には以下がある(人口はいずれも2001年国勢調査)。
- ネア・ムダニア(ネア・プロポンディダ市) - 6,475人
- ネア・カリクラティア(ネア・プロポンディダ市) - 6,204人
- ポリギロス(ポリギロス市) - 5,040人
- オルミニア(ポリギロス市) - 3,272人
- イエリソス(アリストテリス市) - 3,046人
県域に1万人を超える都市はない。県都ポリギロスは、県域ほぼ中央にある内陸の都市である。テルマイコス湾岸(西岸)にはネア・ムダニアやネア・カリクラティア、シトニア半島の付け根にはニキティ (el) やアイオス・ニコラオス (en) 、シトニア半島にはネオス・マルマラス (en) 、スティモニコス湾岸(東岸)のアトス半島付け根にはウラノポリ (en) やイエリソスなどの町が位置している。
歴史
古代にはハルキディキ一帯はトラキア地方の一部であった。
紀元前8世紀頃に、ハルキスやエレトリアなどのエウボイア島の都市などからのギリシャ人入植者が渡来し、メンデ、トロニ、スキオニといった都市を建設した。また、紀元前6世紀になるとアンドロス島からの移民も入植した。ハルキディキにあった古代都市スタギラは、偉大な哲学者アリストテレスの出生地でもある。
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- ^ “National Road No.16” (英語). Greek Motorway.net. 2012年3月1日閲覧。
- 1 ハルキディキ県とは
- 2 ハルキディキ県の概要
- 3 行政区画
- 4 交通
固有名詞の分類
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